★世見★松原照子氏のスピリチュアル情報
<照の日記>
見かけとは
意外とね。外見は何事に於いても強く見える人が、「あれ、気が弱いの」なんてことが見えると、親しみが湧いたりします。
又、気の弱そうな人が「気が強い」と、「あれ、もしかして頼れるの」と思ったりもします。
見かけによらない人って多くいる気がします。
ということはですよ。
もしかしたら、見る目がないのが自分かもしれません。
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<世見>
世見2019年8月30日 純喫茶の思い出
こんなことを書くと、当時を懐かしく思ってくださる方もいてくださることでしょう。又、「ヘェ〜 そうだったの」と思う人もおられることでしょう。
娘時代、喫茶店というより、暖簾がかかった新型食堂とでも申しますか、喫茶店のような、そうでもないようなお店がありました。
当時、珈琲が一杯35円。
ミルクコーヒーのことを、神戸では「ミーコ」と呼んでいました。
三ノ宮に純喫茶と言われるものが登場して、当時コーヒー一杯が100円だったことにはとても驚きましたが、純喫茶は不良の行くところだと誰かが言っていました。
後から知ったのですが、純喫茶とは酒類を扱わない純粋な喫茶店ということだったのです。その後、ジャズ喫茶、クラシック喫茶ができ、目的は音楽を聴きに行くことと、珈琲を飲むこと。ただし会話は禁止というのが暗黙の約束事でした。
歌声喫茶なんかも出来たりしてネ。
アコーディオンに合わせて皆で歌うのです。
今の若者達がこの光景を見ると、「なにやってんだろう」と思うかもしれませんが、私達の若い頃は、「純粋」この言葉が大好きだったんぁ〜と思います。
神戸にパウリスタというお店があってね、ケチャップ味が最高のスパゲティーの味が忘れられません。
今ではパスタって言うのですよね。
秋葉原には「メイドカフェ」がありますが、あそこは純喫茶でもなく、何と言ったらよいのでしょうね。
今ではケーキの美味しい喫茶も出来て、私を乙女心に戻してくれます。
こんなことを書いたので、今から珈琲を飲むことにいたします。
あなたもお好きな飲み物を召し上がれ。
記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
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