★世見★松原照子氏のスピリチュアル情報
<照の日記>
今日を
自分一人なら頑張れなかったことがあります。
娘や両親がいてくれたから頑張れました。
過ぎてしまえば、どれもこれも今日のためにあったことなのがわかります。
あとどのくらい命があるのかは誰もわかりません。
今日も明るく過ごすと、きっと明日いいことがあります。
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<世見>
2017/08/22
雪よ岩よ われ等が宿り 俺たちゃ町には 住めないからに
「雪山賛歌」を思い出される方も多いかと思いますが、元歌は「いとしのクレメンタイン」(原題:Oh My Darling Clementine )といいます。
春がやって来ると、どんなに険しい山の中でも足場を見付けられれば、牛数頭と馬車を手に入れ、猟銃 斧 修理道具 ツルハシ 選鉱鍋 食事用鍋 樽 ロウソク カンテラ 長靴 帽子 食品の小麦粉 砂糖 塩 ベーコン コーヒーを揃えて西へ向かった。
目的地はカリフォルニア。
この頃のアメリカ合衆国の州の数は30。
カリフォルニアめがけて、約10万人の人々が一攫千金を夢見て出掛けた。フォーティニナイナーズと呼ばれる人々。このフォーティニナイナーズの一人の女性がクレメンタインの歌を作ったといわれます。
1848年の1月、黄金の発見は放水路だった。
19世紀に入り30年代頃からアラスカはロシア領でした。
サンフランシスコから160km北に行くと2000人ものロシア人が住んでいました。
アメリカ合衆国にアラスカを売却したのもこの時代です。
このカリフォルニアは、放水路で金が発見されてからたった9日後にアメリカ領になったといいます。
南北戦争といえばリンカーン時代。
アメリカが巨大化したのはメキシコの読みの浅さからだったのか、それとも南部と西部の人々が戦争好きだったのか。アメリカが勝利したのはご存知のことと思います。
大工が発見した豆粒の金が時代を変えました。
記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
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