★世見★松原照子氏のスピリチュアル情報
<照の日記>
振り返って
無邪気な子供の頃の娘の顔を思い出すと嬉しくなります。
私にもあった子供時代。
私も無邪気な顔をしていたのでしょうネ。
時の流れは、子供の頃の顔の原形を変化させます。
アァ 懐かしきかな 子供時代。
私の人生 こんなものか。
こんなことを思い、ニヤッとして見ました。
あなたもご自分の人生を振り返って見ては如何ですか。
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<世見>
2017/08/28
1957年、岸信介総理大臣が誕生しました。
岸信介氏と満洲との深い縁話はご存知でしょうか?
満洲帝国は幻と消えたかもしれませんが、どことなく未だに我国のどこかで、このことの何かが燻っている気がするのです。
日本は大陸進出の夢を満洲にかけたのかもしれません。
日本人がつくり出したと思っている中国は、満洲国そのものを今でも認めていない気さえします。
関東軍とはどのような軍だったのだろうか。
関東軍のことは横に置くとして、あの二・二六事件は岸氏を満洲国へ行かせることになりました。
商工省・満洲国総務庁次長が岸氏の肩書でした。
この満洲国時代、満洲国からの金の動きを一番わかっていたのが岸氏のようにも思う。アヘンも収入源になっていた気もしてくる。
戦後の日本に於いて、満洲国官僚達は政治の世界で生き続けました。
岸信介元総理、佐藤栄作元総理、そして安倍晋三総理と受け継がれた何かがあるとしたら‥‥。
不思議な世界の方に満洲国の話を聞いていて、こんなことを思ってしまいました。
満洲国をめぐる物語は、当時の主役級の人々に大金を掴むチャンスがあったとも書きたくなる。
大連に行ったことのある私は、日本の香りが残る街だと思うくらい好きになった所です。
急に「日産自動車」と書きたくなるのですが、満洲国と何か関係があるのでしょうか。
何故か、大金が大きく動き、巨大な富を得た人々がいたのだけはわかります。
突然ですが、この満洲国での何かの決め事が江崎グリコ事件に発展したように意味なく思いました。
記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
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