松原照子氏のスピリチュアル情報
<照の日記>
Xマスが
2016年12月22日 (木曜日)
クリスマスソングって騒音に聞こえないから不思議です。
愛する人と、テーブルのキャンドルの明かりの下で見つめ合いワインを飲む。
襟元のスパンコールの輝きと口のルージュのせいで、艶めかしい自分。
「大好きだよ」と低い声で耳元をくすぐる‥‥なぁんて夢のお話ですが、頭の中だけでもこんなクリスマスの夜を描いて楽しんでいます。
後2日、クリスマスが今年もやって来ます。
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<世見>
2016/12/22
2017年がもう少しでやって来ます。
徳川時代の年始はさぞかし賑わったことでしょう。
大名や旗本の数がどのくらいだったのかわかりませんが、将軍様への年頭のご挨拶。その光景を思い浮かべるだけで「凄い」と思ってしまいます。
そういえば、徳川最後の将軍の葬列は厳かに行われたようです。
小石川邸から寛永寺の葬儀場まで、白装束を身に纏い、白い旗をなびかせながら進むと、多くの人々が手を合わせたといいます。
小石川後楽園は慶喜の思い出が詰まった場所。一度足を運ばれて見ては如何でしょうか。
腕白坊主だったといわれる慶喜。
外国の文書には「keiki」と読むとされている慶喜公。
私が今更徳川家のことを書いても、知識人の多いことなどで面白みはないと思っています。
ただ、江戸城にはどことなく秘密の通路が幾つかあったと思い込んでいるのです。
秀吉の死後、戦国の世の終わりは近付き、ご存知の通りの歴史が待っていました。
「伏見城を家康が再建した理由がある」
と不思議な世界の方は話されます。
「あの城は大半を焼失したのだが至る所にカラクリがあった故、家康が再建させた。ただ、このカラクリの部分はなくしてなぁ〜」
山城の伏見城に行って見たくなりませんか。
「駿府城を築城の頃は信長の眼力を恐れ、江戸城ほどの裏技はなかった城が駿府城。江戸城の秘密は今後も暴かれることはない」 とも、不思議な世界の方は話されます。
江戸城の明け渡しの前にあった徳川家の大金の行方。
もしかするとM資金なるはマッカーサーのMで、このことと関係があるかもしれません。
記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
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