松原照子氏のスピリチュアル情報
<照の日記>
気持ちは
何ひとつ特別な不満も不安も不幸でもないのになぁんとなく取り残されたような気になる時ってありませんか。
自分の居場所もあるのかないのか。
何もしたくないし、何かにチャレンジがしたくもなる。
それって自分だけがそんな気持ちになると思っていませんか。
意外と誰もがこんな気持ちになるものだと思いますよ。
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<世見>
2016/8/25
自分のことでは中々泣けなくなっているのに、オリンピックを見ていると涙が頬を伝う。
熊本大地震で見付からなかった学生さんが見つかった時も涙が止まりませんでした。
ある番組で、涙を流すことは精神にとてもいいと言っていました。
齢を重ねると、我慢強くなったわけでもないのですが、少々の出来事では泣けなくなります。
それはきっと自分の抑え所を知っているからだと思います。
パソコン、スマホと見開き状態の目。
それと、これらを作動させている時は息を殺しているために、もしかすると今までの社会になかったストレスが肉体に溜まり、鬱病が増えたのではとも思います。
感情を素直に受け止めて、ご自分の心を洗うために泣きましょうよ。
深呼吸もしましょうよ。
大昔の人々はお日様が昇り、お日様が地の果てにお帰りになるまで、お日様を感じながら生きていました。
夜空に輝くお月様とお星様に、ご自分の気持ちを伝えていたことでしょう。
でも現代人は、こうした自然界の中の自分を忘れてしまっています。
今日は、ブラックス族の首長クロウフッドの言葉を送ります。
「命とは何か
それは夜を照らす蛍のキラメキ
凍てつく冬の空気に野牛の吐く吐息
草の上に落ち着かない姿を映しながら
日没と共に消えて行く ちっぽけな影」
インディアンの首長のこの言葉、私達はちっぽけな影です。
でも、私達は自然界に守られてこうして生きています。
病気に苦しまれている方もそうでない人も、皆守られて生きているのです。
記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
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