松原照子氏のスピリチュアル情報
<世見>
2014/10/31
私達が知り得る歴史にはミステリーがいっぱい潜んでいます。
アメリカは広島・長崎に原子爆弾を何故投下したのか?
推定で37万人もの死亡者や行方不明を出した原子爆弾。
あなたはこのことを忘れてはいけません。
1945年は歴史が大きく動いた年です。
この年の4月12日 ルーズベルト大統領が急死していなければ原子爆弾は我国に投下されなかったかもしれません。
7月16日 原爆実験が成功していなければ我国の歴史はどのようになっていたのでしょう。ルーズベルト大統領の死後、副大統領のハリー・トルーマンがアメリカの大統領になりました。
37万人もの尊い命を奪った犯人はいったい誰だったのか。
私はこの問題を不思議な世界の方に教えられると涙が止まらなくなってしまいます。
原子爆弾を投下しなくたって日本はいずれ無条件降伏をしていたことでしょう。
たしかに日本は強気でした。
鈴木首相は「ポツダム宣言」を黙殺しました。
ここでも原子爆弾を体験せざるを得ない選択を我国はしてしまったのです。
原子爆弾を積んだ爆撃機の名は「エノラ・ゲイ」と「ボックスカー」、原子爆弾の名は「リトルボーイ」と
「ファットマン」。
この2機で投下したのも人間です。
日本は何故強気だったのか?ここでは書けない凄い人の存在があった。
1943年にイタリアが無条件降伏をした時には我国も無条件降伏をと感じ取った人達もいましたが、発言の前に○○に命を捧げることが日本魂、イエ、どこかに武士道が残っていたのかもしれません。
歴史を大きく変える時、少人数の思いが先行しているのがわかります。
改めて原子爆弾で命を落とされた御霊に合掌。
--------------------------------------
判断は
★2014年10月31日(金)
物事ってネ。始めから善し悪しを決めてしまうと生きる上で今ひとつかなぁと思ってしまいます。
だぁってネ。
ご自分の判断に全て自信を持っている人って今まであまり見掛けたことがないですもの。たしかに瞬時の判断がいいこともあります。
でもネ。
ここは考えて見ようという日を持って見るのもいいように思うのです。
記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
【松原照子さんの書籍をアマゾンで見る】→松原照子検索