2016年05月02日

ベニシアが語る「自然からの贈りもの」ロング・インタビューB







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ベニシアが語る「自然からの贈りもの」ロング・インタビュー@
ベニシアが語る「自然からの贈りもの」ロング・インタビューA


『カントリー・ダイアリー』を見て私も描いてみたいと思った

【ハーブの本をつくるまで】

―――イギリスではいつも料理にハーブを使っていましたか?

11歳のときに家族で3ヶ月船に乗って旅行することになりました。私はご飯をつくる役になったので、そのときに料理の基本を覚えました。当時住んでいたジャージー島は、イギリス領ですがフランスにとても近かったので、フランスでなじみのあるハーブの使い方も教わったのです。


―――ハーブの本をつくるきっかけとなったのは、どんなことですか?

ハーブはそれぞれ役割や効能を持っていて、育てはじめたら興味がどんどん広がっていきました。料理だけでなく、生活に使うもの、病気予防も。ガーデニングダイアリーというのがイギリスでは売られています。ガーデニング専用の日記です。


大原へ越してきて、庭をつくるときのイメージや、それぞれの時期にやらなくてはいけないこと、収穫できるものなどをそれに書いていきました。日記を書く人をダイアリストというのですが、それに近いと思います。それを写真や料理のレシピとともに本にしたのがこの本(ベニシアの庭づくり ハーブと暮らす12か月)です。18年間で覚えた庭のことをまとめて、ガーデニングダイアリーも出したいと思って準備しているところです。


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【花の声を聞くこと】

―――花の絵もずっと描いていたのでしょうか?

以前、線画で何かを描きとめたりしていましたが色を塗った絵は描けないと思っていました。でもちょうどこの家に来た頃に『カントリー・ダイアリー』を知って、あんなふうにだったら私も花に色をつけてみたいと思ったんです。


―――花のことを見つめて、愛しい気持ちで描いているのが伝わってきます。花の世話をするときも、きっと心をこめてされているんだろうと思います。映像で、苗を土に移すときに、grow grow (伸びろ、伸びろ)とおまじないのようにおっしゃっていました。


アメリカ先住民のおばあちゃんのハーバリストは薬草に使うハーブを切るときに「切ってもいいですか?」とハーブに聞いてから穫るんだそうです。人間と同じように花にも魂があると彼女は信じているんです。


そして切ったら、干す前に1日寝かしてあげる。それは“切る”ことで花にショックを与えたと考えているから。それを知ってとても美しいと思ったんですね。日々、忙しくしていて、自分はそんなことやっていなかったなと気づいて、“切る前はちゃんと聞いてから切ろう”と。


できるだけひとつひとつの花を見て、心で話すようにしています。私の書いた本を読んで、時間をゆっくり使い、スローダウンして生活をしてみようと思ってくれる人が少しでも増えたら嬉しいです。

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【言葉からの贈りもの】

You’ve got to do something to help the world go around.


イギリスを離れて日本へ

―――イギリスを離れ、どうして日本へ来ることになったのか教えて下さい。

18歳で社交界にデビューをしましたが、そこでは私の心を満たすことができませんでした。どうやって生きていけばいいのかという答えを探して、インドにいる若い師を訪ねるためにイギリスを出たのです。19歳のときでした。仲間たちと車に乗って2ヵ月かけてインドにたどり着きました。


―――インドではどんな生活をしていたのですか?

アシュラムと呼ばれる道場に滞在し、庭や料理の手伝い、ヨガや瞑想などをして過ごしました。その8ヶ月の間に私は人生をどういう風に見たらいいのかを教わりました。自分の探しているものは自分の心の中にあるから、心に聞きなさい、と若き師は言ったのです。


―――その後日本へいらしたのですね?

もっと東へ行きたいと思ったからです。そして船で鹿児島に着きました。日本に定住したいと母に言ったときには勘当されてしまいましたが、京都で英会話学校をはじめたのは日本に来てから7年目です。日本へ来てからも大変なことはいろいろとありましたが、その度に私はいつも自分の心に“正しい歩き方”を聞こうとしました。自分にとっての正しい道がわかったとき、わたしはそれを無視するということができないようです。


勝手に日本に定住することを決めて、母とは大げんかを何度もしました。これから先もどうなるかは誰にもわかりませんが、精いっぱい生きることが私の目標です。精一杯美しく生きることが。


【自分の中のメッセージ】

―――ベニシアさんが番組で語られる言葉や、本の中には、心が弱くなった時に励ましてくれるものがいくつもありますね。

昔の人が言った言葉やことわざで心に残るものを書き留めているノートがあります。外国のものも日本のものも。自分がふと思ったことも書き留めます。今日の朝、“昔と先のことはわからない。わかっているのは、今を一生懸命、間違うことのないように生きること”と書きました。


テレビではそうした言葉から抜き出して読んでいました。でも、私がすべてを悟っているからそう書いているわけではないんです。辛いことがあって、まだ胸が痛くても、それに負けたくないと思うから、自分のために書いているんです。


【大叔母さんから言われた言葉】

―――ベニシアさんの言葉に励まされた人はたくさんいると思います。

自分の中に、何か人に伝えるメッセージを持っているんだと思うんですね。英会話学校をはじめてから、生徒さんに英語だけでなく伝えたいことをいろいろお話してきました。テレビに出ることになったときに、番組の最後になぜか言葉を読むことになりました。


役に立てているとしたら、それは恵まれていることです。昔、大叔母のアンに言われたことがあるんです。“自分の人生を無駄にせず、地球を守るようなことをしなさい…”You’ve got to do something to help the world go around.”と。


―――どうして大叔母さんはそんなことを言ったのでしょう?

わかりません。彼女は私の父を育てた人で、とても思慮深い人でした。俳優になろうと夢見ていた父が、母のような貴族の家の人間と結婚して贅沢な暮らしを覚え、結局仕事もうまくいかなかったのを見ていたからじゃないかと思います。


“あなたはお父さんやお母さんのようになったらだめ”と何度も言われました。でも、どんな人にも役割があるんだと思います。花やハーブに役割があるように、自分の役割に気づくことができれば、それを生かすことを考えられる。そして、それは頭で考えるんじゃなくて、心で感じることが大切なんじゃないかなと思います。


―――誰かの役に立つこととか?

私もたくさんの人に助けられてきました。本当に困った人にはちゃんと出会いがあると思うんですね。私はそれを“恵み”と言っているんですけれど、そういうことが宇宙の中できっといっぱい起きていると。


【心に庭をつくる】

―――“心に庭を育てる”ということも書かれていました。

インドへ行く前、私が求めていた幸せを庭にたとえて話してくれた人がいました。“その庭は外の世界にあるのではなく、”あなた自身の内側にある“と。心の声を聞くということを、心の中に庭をつくるという言い方で私に教えてくれました。


―――庭に咲く花を見るように、色や香りを確かめるように、心を見つめてあげなさいということでしょうか。

そういうことだと思います。たとえば自分の心の中にしゃべる声があって、きっとふたつあると思うんです。ひとつはネガティブなほう、“どうしよう、だめかもしれない”。もうひとつはポジティブなほう、“今日はゆっくりして、この花、見てごらん”。どっちを選ぶかは自分自身ですが、なるべくポジティブなことを言っている声を聞いてあげると、きっといい方向へ行く気が私はしているんです。

以上、


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「植物は気づいている(バクスター氏の不思議な実験)」
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2016年03月29日

ベニシアが語る「自然からの贈りもの」ロング・インタビューA








【子どもの頃の庭】

―――子ども時代はどんなことをして過ごしましたか?

小さい頃、母は社交界の行事で忙しかったので、私たちの世話は乳母にまかされていました。大きなカントリーハウスでは、子どもたちのいる部屋は大人たちの場所とは離れていて、食事や入浴も別々でした。


ケドルストン・ホールでは、ときに屋敷の中でかくれんぼをしたりして遊ぶこともありましたが、外へ出て散歩に出かけることが日課でした。広大な敷地内には丘や川もあり、好きなところで遊びました。少し大きくなってからは馬に乗ったり。


―――庭に思い出を込めたスペインや南フランスの家ではどんな過ごし方を?

いくつもの家に引っ越したのは、母が4回結婚をしているからなんです。再婚した義父の家、そしてスペインへ引っ越して1年過ごし、3人目の父はイギリス領ジャージー島の農場を購入しました。


8歳の私と7歳の弟は農場を手伝わせてもらうことができて、自然に囲まれて10年余りを過ごしました。暮らしたどの家にも木々があり、私たちがかくれんぼできる場所もいっぱいありました。母がそうした家を選んでくれたのだと思います。どの家でも、庭はわたしの居場所になりました。

【父親に本を読んでもらったこと】

―――子どもの頃に読んだ本で何か印象に残っているものがありますか?

家の中での娯楽は本以外にはなかったので、本はたくさん読みました。でも本にまつわる一番の思い出は、父が本を読んでくれたことです。


実の父とは3歳までしか一緒に住んでいませんでしたが、6歳になった頃から、夏になると弟と一緒に父の南フランスの別荘で過ごしていました。そこで父は私たちによく本を読んで聞かせてくれたのです。


―――夜、寝るときにですか?

寝るときも、そうでないときもありました。父はもともとシェークスピア劇の俳優だったので、読むのがとてもうまかったんです。『ロビンソン・クルーソー』や『宝島』といった男の人が好きな冒険ものが主でしたが、何回かに分けて最初から最後まで読んでくれるのです。


その父は私が13歳のときに心臓発作で突然亡くなり、亡くなったあとに父が読んでくれた古典文学を読み直したことを覚えています。


―――お父さん以外には、どなたが本を読んでくれましたか?

父以外によく本を読んでくれたのは乳母のディンディンです。


―――ベニシアさんを育ててくれた、大好きな乳母の方ですね。

そう、彼女はフランス人なので本を読んでくれるときもフランス語っぽいアクセントでしたけれど。母の再婚で環境は変わりましたが、ディンディンがずっと一緒にいてくれたので、私たち姉弟は、寂しい思いをすることなく日々を過ごすことができたと思っています。


―――たいへんなことが多かった子ども時代だったと思うのですが、ベニシアさんのエッセイを読むと、とても肯定的に受けとめているように思いました。

子どもの頃の私は、父が変わっていくことに対処するのが精いっぱいで母自身のことを深く考えることはできなかったのですが、母は、そして父や3人の義父も、子どもたちのことを思って精一杯のことをしてくれたと思います。


母が亡くなり、いなくなってからいろんなことがわかってきました。母とはイギリスを出るとき大げんかをしましたし、あまり心を開いて話してくれる人ではなかったので本当のことはわかりませんが、貴族の家に生まれたということで結構大変だったのだと思います。


―――ご両親やベニシアさんの子どもの頃のことを書いたエッセイが、ブログでスタートしていますね。

母のことは改めて調べているところなんです。まだ最初の頃で、わたしがようやく5歳になったぐらいです。(現在はもう少し成長したところまで書かれています)私がどういうところに生まれ、どんなふうに生れてきたのか、書き残しておいたらいつか私のことを知りたいと思った孫が読んでくれるかもしれないなと。「へぇ〜、おばあちゃんって、こんなんだったんかって」。

ベニシアが語る「自然からの贈りもの」ロング・インタビューBへ続く

月刊MOE2014年7月号より

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2016年03月28日

ベニシアが語る「自然からの贈りもの」ロング・インタビュー@








【季節ごとに花やハーブが咲くベニシアさんの大原の庭】


庭にいると自然に心が繋がっていくとベニシアさんは言います。季節ごとにとれる庭の恵みは、ベニシアさんの手でお菓子やジュース、料理など暮らしの遊びに、ハーブは石けんや蜜蝋、虫よけやシャンプーなど、家族を守る大切な薬にも変わってゆきます。



イギリスの貴族の家庭で育ち、お城のような屋敷で暮らしていた子ども時代。庭が好きだった少女は、大人になり、人生のことを真剣に考えはじめ、ある日、自らの意志でインドへと旅立ちました。



世界を歩き、香港から船で鹿児島に渡り、ヒッチハイクで東京へ。
そして日本の文化や人々の美しさと出会い、京都の古民家を改装して暮らし始めたのです。



「自分が心から好きになれる生き方を選んで、それを実行して。
わたしは、古いものに新しい命を吹き込みたい」



そんなベニシアさんのナチュラルな生き方、シンプルで力強い言葉が、今多くの人の共感を得ています。その力の源はいったいどこから生まれてくるのか?




ロング・インタビュー@


小さなコテージガーデンに憧れて、そんな庭のある家をつくりたかったのです




【古い日本家屋と庭】


―――古い日本家屋と洋風の庭が素敵に組み合わされた住まいですね。ここを見つけるまでにずいぶん時間がかかったそうですが、この家を気に入った理由は?




ずっと家を探していて、ここに来るまでに100軒ぐらい家を見ました。はじめてこの家を見たとき、「やっと私の家をみつけた」と思ったのを覚えています。何より風格のようなものがありました。



天井が高いので圧迫感を感じず、どこの窓からもきれいな眺めが見えるのもとても気に入りました。




―――ベニシアさんはずっと庭をつくりたかったのですか?


母の実家は18世紀に建てられたケドルストン・ホールというお城のような貴族の館で、私はそこで生まれ、小さい頃によく滞在していました。敷地は広大で、屋敷の庭は小さい頃によく滞在していました。敷地は広大で、屋敷の庭は庭師たちが管理するような場所でした。




屋敷の外に出ると村の人々が住んでいるコテージがあって、庭でその家の奥さんかだんなさんが野菜やハーブを育てていました。昔は物が簡単に買える生活ではなかったので、日々の食べ物やハーブはそれぞれの庭で育てていたのです。




大きな屋敷での暮らしはもちろん不自由はありませんでしたが、小さなコテージガーデンが温かくとてもかわいらしく思え、いつかそんな庭のある家に住みたいと憧れていました。




それがこの大原の家で実現したのです。越してきて最初に植えたのはローズマリーとタイムです。それから少しずつハーブを増やしていきました。




【生活の中のハーブと思い出の庭】



―――暮らしの中でもさまざまな形でハーブを使われていますね。



引っ越して来たとき、ここはまだ下水が整備されてなく、私たちの使った生活用水がみんな川へ流れているのだとわかってびっくりしました。流す水をできるだけ汚さないように、まず自分たちでできるとことをやろうと洗剤やシャンプーを自然のものに変えることにしました。




ハーブの本を取り寄せたりして、自分でいろいろ試しながら、生活の中で使うものをつくっていきました。ドクダミなど日本に昔からある薬草のことも知り合いの人たちから教わったんですよ。





―――ハーブだけでも150種類ぐらいあると聞きました。ハーブを植えた庭以外にもいくつも庭がありますね。



ひとつの庭をつくるのにだいたい1年ぐらいかけて全部で9つになりました。庭をつくろうと思ったとき、まずは子どもの頃のことを思い出せる庭にしようと計画しました。コテージガーデンは、さっきお話ししたように子どもの頃からの憧れでした。




ミツバチが好きな地中海のハーブを植えたビーガーデンは、休暇を過ごした南フランスの父の家の思い出です。裏のスパニッシュ・ガーデンは5歳の頃に1年ほど住んだスペイン。



スペインの家のパティオのイメージで炎色の花を植えています。ジャパニーズ・ガーデンは日本の思い出。そして新しい琉球ガーデンは、最初に日本へ来たときに立ち寄った沖縄の思い出をこめてつくりました。



庭のあちこちで自然が目を覚ましやがてたくさんの花に彩られます


ロング・インタビューAへ続く
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月刊MOE2014年7月号より
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