2020年02月03日

世見2020年2月3日幕末史







★世見★
松原照子氏のスピリチュアル情報

<照の日記>
三つ


私ね、眠る前に、翌日にやることを三つ決めているのです。


この三つって、仕事とは限りません。
夕食に何を食べるとか、編物をすることも入りますし、レンジ周りの掃除もあります。何でもいいのです。


明日のことを決めるとね。
明日も元気に過ごせる気が高まってくるのと、自分で決めたことが実行された時というのが凄く嬉しくなるのです。


それと、一日にメリハリも出来てシャキッとするのですよ。


あなた様も、ご自分との約束三つを眠る前に決めてみられては如何でしょうか。


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<世見>
世見2020年2月3日幕末史


幕末の時代に生まれていたら、どのような思いの日々だったのでしょうか。


「勤王」「佐幕」「開国」「攘夷」の間を揺れ動いた人々がいました。


江戸幕府と親藩、外様雄藩の関係を見ると幕末が見えて来ます。


山内一豊以来山内家を藩主とする外様藩(土佐藩)、島津氏を藩主とする外様藩(薩摩藩)、伊達政宗の子秀宗を藩祖とした外様藩(宇和島藩)、鍋島氏を藩主とする外様藩(肥前藩)、毛利家を藩主とする外様藩(長州藩)‥‥。


親藩と言いますと、越前、桑名、会津、そして尾張、紀伊、水戸の徳川御三家。以上が幕末の有力登場諸藩です。


維新、この言葉の中には歴史の積み重ねを感じます。


関ヶ原の敗戦で石高を減らされなかったら、長州藩は徳川家に対して倒幕の思いを持たなかったかもしれません。


私は、長州藩というのが維新への道をつくった思いがするのです。


高杉晋作、木戸孝允といった名勇の多くを輩出したのが長州藩です。


私ね。歴史を知れば知るほどに、人間の心と申しますか、永年の悔しさと申しますか、藩主がいての枠組みで生きていますと、藩に個性が出来るとしか思えないのです。


毛利元就は中国地方を制する有力大名。
その孫の輝元は広島に本拠地を移し大大名になったのですが、関ヶ原の戦いで西軍の総大将になったことで、家康から防長2ヵ国37万石に減らされてしまいました。


120万石から37万石に減らされたのです。


それだけで終わらず、萩に藩庁を置かされたりと、毛利家は厳しい仕打ちを受けたのです。


長州藩はたちまち財政難になりリストラや増税を行うも厳しい財政難は続きました。


徳川幕府に恨み節が募った結果が、長州人が維新志士を多く生み出すことになり、私達の知る幕末史を作ったのだと思います。








記事引用元⇒幸福への近道より
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posted by キキ at 00:00 | 世見2020年2月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする