2019年07月04日

世見2019年7月4日秘密調査機関







★世見★松原照子氏のスピリチュアル情報



<世見>
世見2019年7月4日 秘密調査機関


今日は、朝から「桃太郎さん 桃太郎さん‥‥♪」
この歌が口から出て仕方がありません。


いつも目が覚めて、朝の決められた行動をとる時に、何も考えずに自然と歌を口ずさみますが、今日は歌いながら、「モモタロウ」この言葉がやけに気になります。


「シンクタンクなる調査機関」
何となく難しいことを書きそうです。


いつもなのです。
不思議な世界の方々が私に何かを教えようとする時には、前振りと申しますか、心に引っ掛かる言葉が理由なく心を占拠します。


それとね。不思議な世界の方々から教わる時間は夜中ではありません。


朝から昼というより、お日様が出ている時なのです。


よく質問で、「いつ頃不思議な世界の方々とお会いになるのですか」と聞かれるのですが、誰もが夜と思っておられる気を感じるのです。


もしかすると、夜が一番ピッタリ似合う時間帯なのかもしれないと思ったりもしますが、明るい時間帯がいいに決まっています。


ではでは、今教えられたホヤホヤのことを書きますね。


今もね。私達が知ることの出来ない調査機関シンクタンクがあるようです。


日本のシンクタンクの中でも、惜しげもなく使われた調査機関が満鉄にあって、この時の調査研究費で財を成した人もいたようです。


桃太郎とは、どうやら秘密めいた調査機関の名前のようです。


この頃のスパイ合戦は、映画にでもなりそうなくらい物凄いものだったのです。


桃太郎のメンバーは57名いたと教えられました。
この頃の日本に於いての秘密事は、現代人では想像も付かないことでしょう。


もっと深く書きたくなりました。




※普通にウィキにかかれてありましたので、転載しておきますね。


1906年に南満州鉄道(満鉄、総裁後藤新平)が発足した翌年、満鉄調査部が設置された。当初は満鉄の経営のための調査をはじめ中国東北地区などの政治、経済、地誌等の基礎的調査・研究を行なったが、その後の日本の中国進出の拡大に呼応してその対象を広げ、中国そのものを対象とした本格的な調査研究も行うようになっていった。



他方、多数の調査スタッフを必要としたこともあり、日本国内で活動の場を失っていた多数の自由主義者、マルクス主義者などを取り込むようになり、やがてその活動は軍部の忌避するところとなって2度にわたる弾圧事件を受け、活動を縮小した。



満鉄調査部は当時の日本が生み出した最高のシンクタンクであるとしばしば形容される。日本の敗戦と満州国の消滅により満鉄が消滅した後も、満鉄調査部出身の調査員でその後の日本の政財界や学界で活躍した例は少なくない。変わったところでは、歌謡歌手の東海林太郎がいる(菊池清麿『国境の町 東海林太郎とその時代』 北方新社、に詳しい)。(ウィキペディア








記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
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posted by キキ at 00:00 | 世見2019年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする