2017年05月16日

世見2017年05月16日中津藩と福沢諭吉







松原照子氏のスピリチュアル情報

<世見>
2017/05/16


天狗小僧と呼ばれた、平賀源内。
昔の人は粋なあだ名をつけること。
あの福沢諭吉は勉強が大嫌いだった人。

昨年の暮れ、母の実家のお墓参りに中津に行きました。
中津駅は 福沢諭吉一色。
中津が誇る 福沢諭吉。
諭吉という人は、ユニークな人だったようです。

近くにある神社のご神体の石を、道端にあった石と取り換えたのだそうです。
大人達がその石に手を合わせる姿を見て、神仏に対する思いはなかったともいわれています。

学問に関してはかなり開けた中津藩。
母も女ながら勉強に励んだといっていました。
諭吉も漢文を読む少年達を見て学ぶことに火が点き、猛勉強をスタートさせたのです。

人は、勉強しなさいと言われたからといって勉強が好きになるのではなく、諭吉のように「漢文を読みたい」という強い思いが勉強に繋がりました。


中津は身分制度がとても厳しい土地だったと母も言っていましたが、諭吉もきっと感じていたことと思います。

諭吉には子供が九人もいました。
血を見るのが苦手で、医術は断念した福沢諭吉。

一万円札の肖像に描かれている顔を知らない人はいないでしょう。
大分県中津市留守町586には、諭吉が1歳6か月の時、父の死去により大阪から帰藩し、19歳まで過ごした福沢諭吉旧居と福沢記念館が今もあります。


67歳にて脳溢血で倒れて亡くなるまでの生涯をあの世でどのように思っているのでしょうか。

私の母は生きていれば105歳。
福沢諭吉が後12年生きていたら、私の母とこの日本で生きたことになります。


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<照の日記>
最近は


後先を考えずに引き受けてしまって、「しまった」と思うことが私にはよくあります。
向う見ずとは思っていないのですが、安請け合いが特技になってしまっている私。

性格って、なおしたくても中々なおりませんが、最近ではこれも人生と思えるようになっています(笑)。







記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
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posted by キキ at 00:00 | 世見2017年5月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする