2016年06月29日

函館ハイジャック事件全日空857便恐怖の16時間







今日のアンビリバボー予備知識でしたらこちらをお読みになってみて下さいね。
ざっと書き出してみました。



1995年6月21日東京羽田空港、11時30分発の全日空857便函館行き、乗員乗客合わせて365人は、誰もが事件に巻き込まれると思いはしなかったでしょう。ジャンボ機の2階客席、その前方にコックピットでは、機長、副操縦士、機関士の3人、そして客室乗務員はいつも通りの機内の様子でした。




しかし、この旅客機が日本中を震え上がらせる舞台となる、運命のフライトでした。
事件の一部始終に日本中の人がくぎ付けとなりました。日本の警察使用初の航空機ハイジャック強行突入となったからです。



【11時32分離陸】

2分遅れで飛び立った機内は、7割方の座席が埋まっていました。水平飛行に入り、客室乗務員が、飲み物のサービスのため、用意を始めます。しかし始まりは、客室乗務員が準備をしている時を狙い、ナイフを持った犯人の男がやってきたことでした。




男は、透明のビニール袋に入った液体を持っており、この中身を


―――中身はなにかわかっているだろうな―――



男がそう言って客室乗務員を脅しました。…もしや…?



客室乗務員はピンときたのです。
この年1995年3月20日世界を震え上がらせる大事件が起こされました。
それは地下鉄サリン事件。




【11時58分】


そう、男が見せたその3つのビニール袋の中身はサリンだと言う。
男は、「函館に着いたら給油し、東京へ引き返せ」と客室乗務員に告げました。



そしてすぐに客室乗務員から「機長ハイジャックです」と、機内のインターホンで機長の元へ連絡が入りました。その内容を聞かされてすぐに、機長より東京完成本部の管制塔へ一報が入ります。11時58分、「山形上空でハイジャックです」・・・・。




同時に連絡を受けた、山形空港の空港事務所から、すぐに運輸省、警察庁、警視庁、札幌の北海道警察本部へと緊急連絡されました。




北海道警察本部伊達本部長は、「国松長官から、伊達本部長に現地で総指揮をとってもらいたいとのお願いである」と指令が下ります。総指揮を任された伊達本部長はすぐに動き始めます。ヘリで150キロ離れた函館へ飛び、函館に対策本部が設置されました。




大方のハイジャック事件というのは、


犯人が管制塔に連絡を取ってくることが多い



しかし、今回は犯人からの要求が、管制塔に連絡が一切回ってこなかったため、



犯人の意図

犯人の肉声

犯人の感情




などが読むことができず、人物像が掴めぬまま時間が過ぎて行ったのです。




これまで、国内で起きたハイジャック事件は、12回。しかし警察・機動隊による突入は一度もありませんでした。




事件から20分後、ハイジャックされたことが、機内の乗客にも伝えられました。
客室乗務員への犯人からの指示により、1階にいた乗客全員の目と口をガムテープでふさぎ、全ての窓を閉めさせました。




この時1階にいた2人の子供と夫婦の1組の家族は2階の客席に移動させられましたが、ガムテープはられませんでした。しかし、母親は見たのです、この階にいた、犯人と脅されている客室乗務員の様子を。




この時漏れ聞こえた言葉は、「自分は組織の人間だ。ひとりではない。給油して東京に引き返せ」と言う言葉でした。




【12時42分】


地上では、機長からの連絡を受け、全面封鎖された函館空港に12時42分、離陸から1時間20分後、857便は着陸しました。




報道では、犯人が「オウム真理教の小林」と名乗っているとニュースが流されました。同時に、客室乗務員は、「プラスティック爆弾をいつでも爆破することができる」と脅されていました。犯人の指示により、乗客を1階後方へ集結させていました。目隠しをされている乗客は犯人の姿も見ることができませんでした。




なぜだか犯人は、直接交渉をしようとせず、常に客室乗務員を通してされました。
このころ、函館空港には、ある組織が集められていました。



「これは訓練ではない」


警視庁特殊部隊(のちのSAT)でした。SATのメンバーに入ると、名前は警察名簿から外されます。(公安と同じですね)行動は秘密で、どのようなことをしているのかどこで訓練を行っているのかもあまりわかっていません。




常に、飛行機やバスなどのハイジャックを想定しての特殊な訓練を行っているようですが、全貌はわかっていません。現在8都道府県に設置されています。(ごくまれに、SAT と書かれたユニフォームをみかけますね)




この緊迫した状況の中で、ある乗客が動き始めていました。
1人の男性が、そっと隣の女性の乗客に新聞を渡した。



30分後に男性のところへ戻ってきた新聞には、携帯電話が隠し込まれていました。男性自身は当時携帯電話を所有していなかったが、(携帯電話を持っていた)隣の女性が目的を理解し、携帯電話を渡したのです。





実は、ツアーのためにこの便に乗っていたギタリストでした。
彼は、その携帯電話を持って静かに立ち上がり、トイレから北海道警察本部に電話する。




彼は加藤登紀子さんのバンドのメンバー告井延隆さんでした。
告井さんは、この携帯電話で機内の様子を詳細に報告する。「犯人が何人か分からないですが、スニーカーはいつも同じものです」 乗客も気づき始めていました。「一人」だと。




犯人は1人ではないと思わせるため、上着を変えて複数人に見せかけていました。犯人の給油の要求に対し、機長は「給油コックの破損で飛び立てない」と告げ、時間稼ぎをしていました。




対策本部は、乗客の名簿を調べ尽くし、身元不明者として最後に残ったのが1人の容疑者でした。
一方、オウム真理教の上祐氏は、「オウムが犯人ではない」と公式に述べていました。同時にSATや機動隊などがあわただしい動きをみせていました。




【14時00分頃】


発生から4時間経過していました。
伊達本部長は、『犯人に投降する気はない』と判断を固めていました。








すでに複数人の乗客から携帯電話により、犯人は1人しか見ていないと地上へ情報が寄せられていましたが、対策本部では11時間を経過し決断を迫られていました。乗客の緊張状態はギリギリのところであるとも推測されていました。


【22時30分頃】


11時間経過…伊達本部長は、突入を決断します。
作戦を開始します。



0時30分、各地に散らばっていた首脳陣は集められ、突入作戦会議を行い、突入を決めました。事件から12時間30分が経過していました。





ちょうどその時犯人から、客室乗務員を通して「1人目は終わった。2人目だ」…。




しかし、伊達本部長は、「これは言わされている。大丈夫だ、このまま強行突入の作戦を決行する」と動き始めます。道警により、死角となる3か所から突入となりました。滑走路のライトが消され、マスコミ各社には中継を「コックピットだけ」の映像とするよう取り決められました。




空港内の格納庫では、着々と突入の準備が整えられていました。合図とともに、3時20分、強行突入開始。機体後方から近づく。静かな機内では気づいた人はいない。目隠しをされ、窓を閉められた機内の人びと・・・何も知りませんでした。




夜明けまでが勝負。3時30分頃、もう夜が明けようとしていました。




部隊は機体の下に回り込み、はしごを使って突入した、3時42分。犯人確保3時45分、たった3分でした。機内には、拍手が巻き起こり大きな安心が広がりました。ビニールの液体はサリンではなくただの水でした。





その後、マスコミにより、生放送されなかった突入前から突入後の様子が放送されていました。数十人による突入は、鍛え上げられた精鋭部隊でした。




犯人は、「ひとりだとばれてちまったのかな…」とひとりぐちていた…。しかし、目的は何だったのか…



犯人の目的はいったい何だったのか‥‥



犯人は精神疾患で休職中の東洋信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)行員(当時53歳)と判明し、オウムとは無関係でした。



犯人は逮捕の翌日(1995年6月23日)付で東洋信託銀行を懲戒解雇され、1995年7月12日に函館地方検察庁に「責任能力あり」と判断され起訴されるに至っています。








posted by キキ at 20:36 | 歴史の真実 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする