2016年06月21日

コードネーム「ZERO」ゼロと呼ばれる公安捜査官たちと重信房子







アンビリバボー6月23日放送内容
タイトル『実録!!日本警察の秘密組織…極秘捜査官ZERO』



2000年11月8日午前、大阪府警警備部の捜査員に逮捕された日本赤軍リーダーの奥平(旧姓重信)房子容疑者は、同府高槻市内のホテル前で、張り込んでいた捜査員から「奥平やな」と本名の名字を問われると、「うん」と静かにうなずき、あっさり身元を認めた。

 

重信容疑者は7日から高槻市城西町の「たかつき京都ホテル」に1人で宿泊。支援者とみられる男性2人と一緒に出てきたところを、待ち構えていた捜査員十数人に取り囲まれた。同容疑者は職務質問され、当初うろたえた様子を見せたが、逮捕には素直に応じたという。 逮捕容疑は オランダの仏大使館占拠事件の逮捕監禁容疑。逮捕された時の重信容疑者は長めのコートにズボン姿。ノートパソコンなどが入ったショルダーバッグを下げていたという。 


逮捕時のことば

"I'll fight on!"



大阪市内のとある雑居ビルの一室「302」、と書かれただけの部屋に公安捜査官6人が集結。
日本赤軍逮捕へ賭けて彼らはある情報を元に動き始めた。



 
日本赤軍最高幹部、重信房子容疑者(本名=奥平房子)の突然の逮捕劇は日本中をあっと驚かせた。が、すでに2年前に、潜入帰国はごく近い人々には通達されていたのである。
 

重信容疑者は11月8日朝、大阪府高槻市内のホテルを支援者の男性2名と出てきたところを逮捕された。


「今年7月下旬、大阪府警本部に、『重信房子に似た女がいる』というタレコミがあった。赤軍内部からの情報だ。


高槻は'70年代に赤軍派の拠点があったところで、現在でも支援者が多い。中でも市内のB病院は、職員のほとんどが日本赤軍の支援者で、一大拠点となっている。


この病院関係者の住まいや寮、関連施設などをしらみ潰しにあたっているうちに、アジトに出入りする中年女性を発見した。最初は重信とわからなかったが、写真や指紋をとり、前日までにようやく確認がとれ、逮捕に踏み切った」(公安関係者)



「重信が帰国しているという噂は、今年の夏前から、一部新左翼関係者の間で囁かれていた」
 というから、情報が警察に漏れるのは時間の問題だった。


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重信房子



【1971年の事件】


1971年2月、赤軍派中央委員で明大闘争の活動家だった重信房子と京大工学部の奥平剛士は日本を出国し、パレスチナに入った。現地で重信らは、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の庇護の下で日本赤軍を結成。



1972年5月30日午後、パリ発のエールフランス機でイスラエル・テルアビブ空港に到着した奥平と鹿児島大の岡本公三、安田安之が空港ロビーで自動小銃を乱射し、100人近くの死傷者を出す事件を起こす。



日本赤軍はその後、1973年7月20日にオランダ上空でパリ発東京行き日航機を乗っ取るハイジャック事件を敢行。翌74年1月31日にも日本赤軍とパレスチナゲリラの混成部隊がシンガポール島南西の石油タンクを爆破し、フェリーボートを強奪して立てこもった。



直後の2月6日には在クウェート日本大使館をパレスチナゲリラが占拠し、日本赤軍メンバー2人の送還を要求。日本英府はこれに応じ、日航機でメンバーを南イエメンに運んだ。



さらに同年9月13日、オランダ・ハーグで拳銃で武装した日本赤軍メンバーがフランス大使館を占拠。パリ当局に週間痛の別のメンバーを奪還し、オランダから現金30万ドル奪い取ってリビアに投降した。以後も次々と世界各地でテロを引き起こした日本赤軍は、日本初の本格的な「国際テロ組織」だった。



奇妙なことに、警察内部には“重信ファン”とも言える公安警察官が少なからず存在する。国内においても先鋭化し、陰鬱に内向化していった赤軍派や他の新左翼セクトに比して、パレスチナに渡って結成された日本赤軍、中でも重信房子というシンボル的な女性闘士に、理想と姿勢を変節しない自由で叙情的な雰囲気を感じるからだろうか。



日本赤軍の追跡作業は警察庁警備局でも外事課の国際テロ対策室を中心として続けられてきた。担当者らはメンバーのわずかな足取りを追って時に世界中を飛び回る。



「重信は大したものだ」「他の奴等とは違う」「いつか俺が取り調べるんだ」…そんなセリフを警察庁や警視庁公安部の日本赤軍担当者の何人かは、隠しもせず口にしていた。

日本の公安警察」より抜粋







【逮捕】

2000年11月8日、レバノンの首都ベイルート市内のアメリカン大学で、クラスメートと他愛ないおしゃべりをいていると、電話が鳴った。声の主は、「あなたのお母さんが捕まったと思う。ニュースを見て!」と切迫した様子で話す。自宅に戻り、NHKのニュースを見ると、両手の親指を立てている母の姿があった。



いつかこんな日がくるであろうと子どもの頃から覚悟していた。
「しばらく電話ができなくなるかもしれない。電話しなくても心配しないでね。私はだいじょうぶだから」とあの日、母は言った。あれが最後の電話だった。



翌日ベイルートで発行されているすべての新聞は、母の逮捕をトップニュースで報じていた。日本では信じてもらえないかもしれないが、あらゆる記事が母に同情的に書かれていた。



「われわれの友人である重信房子が日本で逮捕された。われわれはその暴挙を見逃していいのか」と。



母が初めてパレスチナ国際空港に降り立ったのは1971年7月3日25歳のときだった。パレスチナの祖国解放闘争を、パレスチナ人とともに闘うために日本からやってきた。その間に母は、ひとりの女の子を産んだ。それが私、重信メイだ。


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重信メイ



母が闘った30年の活動は常に正反対のふたつの評価を与えられてきた。ひとつは、パレスチナ民族解放のために命をかけて闘った日本赤軍のリーダーとして、アラブ社会から敬愛されていた「英雄・重信房子」の顔。



もうひとつは、26人の死者を出した72年のリッダ闘争をはじめ、いくつもの国際テロ事件を引き起こした日本赤軍のリーダーとして、イスラエル、日本の政府などから追われる「テロリスト・重信房子」の顔。
秘密―パレスチナから桜の国へ 母と私の28年より



重信房子を追い詰めたのは、公安警察「ゼロ」という、表向きには存在しない捜査員たち。彼らはどのような組織でどのような活動をしていたのか…。



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レバノン首相府



「サクラ」
「チヨダ」

そして
「ゼロ」へ・・・






【公安警察の役割】

中央集権的警察組織の中でも、公安警察の中央集権制は群を抜いている。日本の警察組織を大ざっぱに分類すると、機能別に、



刑事警察

交通警察

防犯警察(生活安全警察)

地域警察

警備警察


などに大別される。




公安警察はこのうち、機動隊運営などの警備実施、災害・雑踏警備、警護、警衛(皇族に対する警護)、外事警察などを抱合する警護警察の一角に位置し、「国の公安に係る犯罪」に関する情報収集、捜査を行っている。



警察法三七条は、都道府県警の経費のうち、国費によって支弁するものの対象として警視正以上の警察官の給与や警察教養施設の維持管理、警察学校における教育訓練に関する経費に加え、「国の公安に係る犯罪とその他特殊の犯罪の捜査に要する経費」を指定している。




刑事警察などと異なり、公安警察の活動は現実的にはほぼ全てが「国の公安」に抱合される。つまり公安警察の活動費は全てを中央が握り、その額は警察庁警備局と各都道府県警警備部長との間の直結回路において決定され、警視庁から直接渡される公安予算は当事者以外には知りようもないシステムとなっているのである。

中略



【公安警察と刑事警察】

公安警察と刑事警察は、同じ警察組織の中に存在する部門でありながら、その活動内容、手法において全く性質を異にした組織である。



端的に言えば、公安警察とは情報警察である。
例えば刑事警察が殺人事件の捜査に着手すれば、捜査員は現場で証拠を収集し、周辺を聞き込みし徐々に証拠を積み重ね、犯行動機を洗い出して被疑者にたどり着く。



公安警察は、爆弾事件を例にとれば、爆弾の残留物から類推される構造から犯行団体を推し量るのは公安警察にとってごく初歩的な捜査の常道であり、標的となった対象人物・場所などからも団体を推測しうる。つまり犯人は最初からおよそで分かっている。公安警察は、日常の情報収集活動によって、犯行直後に団体を特定できないようでは話にならない。

(中略)



【「サクラ」部隊】

サクラとは、東京中野の警察学校の中の、今はない「さくら寮」が名前の由来であり、戦後まもなく日本の公安警察に存在する秘密部隊の本拠地で、その組織は「四係」と呼ばれていた。この組織が作られたのは、1952年、「血のメーデー事件」が出発点とされる。

(中略)


【精鋭が集まる】

「サクラ」部隊は発足直後から、各都道府県警に着実に整えられた。これを統括することになるのが中野の警察学校内に置かれた警察庁公安一課の分室だった。組織のキャップは公安一課の理事官がつとめ、



実行部隊となるのは各都道府県警の四係こと「サクラ」部隊



中野分室は都道府県の公安委員会はもちろん、本部長すら飛び越えて全国の部隊が実行する作業に対し直接に企画・指示を与え、あるいは企画を承認し、教育し、援助した。



「サクラ」のキャップに任じられるのは、キャリアの警察官僚のうち入庁15年程度の中型幹部。警察庁の名簿から藻組織図からも名前が消され、公安一課に籍を置きながら、「表向きは存在しない理事官」として1年から3年程度、中野分室に生息した。




【偽名で講習を受ける】

54年警察法制度提示の国会論戦でも一部が明らかになったが、公安警察幹部の証言によれば、「サクラ」での教育は徹底的で、参加者は全員が偽名のまま講習を受け、お互いの正体すらわからぬよう注意を払い、早朝から深夜まで反共の洗脳教育を施され、尾行・張り込みの方法、協力者獲得の極意、あるいは鍵の開け方や盗聴・盗撮など非合法工作の方法までを叩き込まれた。


全国の公安警察官が行っている活動を先鋭化し、高度化するための、きわめて徹底した教育だった。




【個人責任の原則】


中野学校で教育を受けた公安警察官である「サクラ」部隊は、それぞれの任地でさらに高度な情報収集活動に邁進した。秘密工作の作業員は、「個人責任の原則」を教え込まれていた。



『わが罪はつねにわが前にあり』の中で述べられている愛知県警警備一課での話では、「サクラ」部隊の活躍ぶりを、



「過失や事故または計画にない予想外の事態の発生によって、工作そのものが暴露したり、作業員が共産党や一般市民のほか、場合によってパトロール警官によって逮捕されるようなことも絶無とはいえない。(略)管理者としての私は、少なくとも工作が行われている限り、辞表を常に用意しておかざるを得ないと考えていた。



秘密工作の作業員は、『個人責任の原則』を教え込まれていた。暴露されたらその個人の非行または犯行として、暴露した限度で、潔く行為の責任を負い、影響が広がるのをそこで食い止めるという原則である。(略)そこまで彼らを錬成した本庁のすごさを思った。こういう工作班員は簡単に養成できるものではない」。



その後に起きたのが日本共産党幹部宅盗聴事件で、「サクラ」を中心とした公安警察の組織的工作。日本共産党幹部の緒方康夫氏宅に盗聴器を仕掛け、会話を盗み聞きしていた。電話中に雑音や音声の低下を不審に思った緒方氏からNTT町田局に調査依頼し、緒方宅から電話ケーブルが引き出され、100メートル離れたメゾン玉川学園206号室に電話端子が接続されていたことが発覚。



注※
メゾン玉川学園の賃貸契約書、貸借名義人は、公安一課に所属していた警部補の息子、その保証人は、もともと公安一課に所属していた公安警察官で大手電機メーカーの社員。不動産会社に提出する保証人の住民票を取得したのも公安一課巡査部長、家賃振り込みも神奈川県警の間近の銀行支店から行われていた。





その後、神奈川県警本部長辞職、同県警警備部長が総務庁に転出、警察庁警備局長辞職、同公安一課長、公安一課理事官が配転となった。



【「サクラ」から「チヨダ」へ、そして「ゼロ」へ】


盗聴事件の発覚により大きな打撃をこうむった「サクラ」は、警察学校にあった「さくら寮」もろとも消えた。しかし「サクラ」はなくなってはいない。



その名称を「チヨダ」と変え、本拠地も霞が関へと移した。担当も警察庁公安一課から警備企画課へと変わって行った。「かつての「サクラ」とやっていることに基本的な違いはない」多くの公安警察官はそう言う。



サクラからチヨダと変えたがその後、この「日本の公安警察」著書により、ゼロと名称を変えることになった。(現代ビジネスより抜粋)


その「チヨダ」は、 2000年頃に再び符牒を一新した。


「ゼロ」。それが新たな組織名だ。警備局元幹部らによれば、拙著などによって「チヨダ」の名が知れ渡ってしまったことから新たにつけられたのだという。警察庁元幹部が苦笑いしながら私にこう明かした。



「あんたがいろいろ書いたから、新たに「チヨダ」のキャップになった理事官が変更したんだよ。『存在しない組織だからゼロだ』なんてもっともらしく解説する公安幹部もいたけれど、本当は『ゼロからの出発』という意味らしい(苦笑)。滑稽な話だけど、最近では、またチヨダと呼ばれることのほうが多くなったみたいだな」

 

確かに符牒の意味は滑稽だ。しかし、チヨダにせよ、ゼロにせよ、過去に数々の非合法活動に手を染めた隠微な組織が公安警察内に維持され、今も密やかに蠢いている。いやチヨダばかりか、新たに<I・S>という新組織まで作り上げ、「オモテ」の理事官の管理下で半ば公然と活動を繰り広げている。

以上

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日本の公安警察より抜粋


posted by キキ at 18:00 | 歴史の真実 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする