2016年06月13日

1971年FBIから大量の機密文書コインテルプロ盗み出した8人ジョンとボニー








8人のメンバーがいた


デイケアセンターの所長
2人の教授(ビル・ダビドン、ジョン・レインズ)
タクシードライバー
教授の妻


わかっているのは5人


ボニー・レインズ
「当時私は20歳くらいでした。心の中には不安や怒りが渦巻いていました。あの頃の感情は今でも鮮明に覚えています…。あまりにも大きな間違いがまかり通っていました。行動せずにはいられませんでした」


アメリカを変えた8人の市民・・・


1971年ニュースで

―――FBI連邦捜査局は、国内に500ある小規模な事務所の一部閉鎖を検討中であり、
先月大量の書類が盗まれた事件を受けての判断です―――




ウィキリークスやスノーデンのNSA告発よりもはるか前の1971年にFBIの文書を入手し、その違法な活動を暴いた市民がいた…。


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「FBIを捜査する市民委員会」と名乗る犯行グループは徴兵委員会の前を通り、FBI事務所のドアをこじ開け、あるゆる書類を持ち去りました。



―――政府による個人情報収集の実態が明らかになりました―――



犯人たちは捕まらなかった。



…そして事件から43年の時を経て当時のメンバーが名乗り出て真相を語りました。


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2014〜2015年のことです




ボニー
夫と一緒に反戦運動に加わりました。子どもを連れてデモや集会にも参加しました。中には逮捕される人もいました


ジョン
行き過ぎた暴力を変える必要があったんです



ボブ・ウィリアムソン(ソーシャルワーカー、所長)
キース・フォーサイス(タクシー運転手)
ウィリアム・C・ダビドン 有名な活動家(子どもをおんぶ)

2013年11月8日死亡
平和活動家、数学と物理学の教授
2010年にパーキンソン病発病


ジュディ・ファインゴールド のちに自分もメンバーであったと名乗り出ました


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FBIが裏で何をしているか、世間に知らしめるために事務所に侵入して書類を盗み新聞社に送り付けようということになりましたキースは、ビルの頼みなら一も二もなく承諾しました。彼が計画するなら勝算があると考えました。



キース
当初のメンバーは9人でしたが、途中で1人抜けました。リーダーはもちろんビル。
この大胆な計画を成功させるには、仲間の結束が不可欠でした。ジョンとボニーの家に集まって作戦を練りました。家に入ると小さな子どもがいました。みんなびっくりしました。



集まったメンバーを初めて知りました。私は2,3人の人に、ちょっと頼りないと思いました。あの時点で怖がっているようでは、FBIの事務所に侵入した時、平静でなんていられませんからね。もし捕まったらかなり長い間刑務所に入れられるんですから。



フィラデルフィアの中心街にあるFBI事務所は24時間警備体制で守られてスキなどありませんでした。しかしあの頃は小さな事務所があちこちにありました。



電話帳で調べるとフィラデルフィア郊外のメディアという町に小規模な事務所があることがわかりました。小さな建物の2階でした。メディアにあったのは、FBIの地方支部でした。


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元FBI捜査官テリーネイスト
当時の地方支部には、多くても20人くらいで中には4,5人しかいない支部もありました。支部の事務所には24時間の警備などありません。



キースは、自分の目で安心できないので、下見に行きました。警報システムもなく、事務所のドアも鍵もごく一般的なもので、「これならなんとかなりそうだ」と思いました。


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エイサン・セオハリス(歴史学者)
フーヴァーは、29歳でFBI長官就任したばかりでした。彼の成功の一因は彼の主義を貫いたことです。権力の構造を理解し、うまく立ち回りました。



サンフォード・アンガー(ジャーナリスト)
当時の長官は、「アメリカはこうあるべき」、という独特の価値観を持っていました。ベトナム戦争の反戦活動をする、髪を伸ばした、ひげを伸ばしたヒッピーのような人たちを頭ごなしに違法と決めつけていました。こういう人たちが街頭に集まって、戦争の進行を邪魔したりなど、長官にとって、あってはならないことだったのです。



8人のメンバーは計画遂行のため、練習をし始めました。

キース
私はタクシーの運転手だったので、空いた時間に何度か下見に行きました。


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後にFBIが公開した大学生に扮したボニー



ジョン
建物の見張りが必要でした。事務所の中も見ておく必要がありました。


ボニー
「FBIが女性も雇用するかどうか」という理由で、責任者に会いたいと連絡し訪問しました。応募する用紙をくれと頼み、責任者がキャビネット開ける様子を観察しました。私たちが盗み出すつもりの書類がたくさん詰まっていました。心配していた警報装置はありませんでした。建物の正面玄関は自由に出入りできることもわかりました。


ジョン
3月8日は、モハメッド・アリとジョー・フレイジャーの世界チャンピオン戦があり、この日なら多少警察の気が散っているかもしれないと思いました。


キース
問題は、FBI事務所の近くに裁判所があって、夜も明るかったことです。裁判所の玄関前に、警備員がいたので周囲に溶け込むよう外見に気を遣いました。長い髪を短く切って、古着屋に行ってブランド物のジャケットを買ってきました。


ボニー
メンバーは全員口が堅かったので、警察や外に漏れるようなことはないと思っていました。その時、9番目の男が言い出したのです、「抜けたい」と…。


ジョン
9番目の男は、私たちの計画や住まいや名前を知っていたのでばらされたら終わりです。彼は怖気づいたのでしょう。私も内心怖かったのです、何より3人の子どもたちのことを思うと…。もし捕まったらこの子たちはどうなるのだろうと…。


ボニー
子どもがいるからといって、責任を持たないわけにはいかない、夫婦でそう話し合いました。そして、兄のところへ行き、「もし私たちが捕まったら子どもたちのことをお願い」と話しました。子どもの行く末を確実にしておきたかった。


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ビル



ボニー
私たちは夕食を済ませるとすぐに家を出ました。予約しておいたホテルの部屋で細かい段取りのチェックをしました。


キース・フォーサイス
私は車でFBIの事務所まで行き、建物に入りました。事務所のドアの回転ノブは、ピンタンブラー錠ではなくシリンダータンブラーロックでした。これは大変だと思いました。もし鍵を付け替えたのだとしたら、私たちの計画がFBIにばれていることになる・・・。心臓が止まりそうになりました。



待機しているホテルに電話がかかり、鍵のことを知ったメンバーたちは、計画を中止すべきだと言いましたが、ボニーはここへきて中止したくない、やり遂げたいと思っていました。



ボニー
FBIの事務所への偵察時、少し迷ったふりをして別の部屋の様子を見ていました。その部屋には廊下に通じる別のドアがあって、前には大きなキャビネットがおいてありました。慎重にキャビネットを動かして体が少し入るだけのすき間が開くんじゃないかと思いました。



キース
部屋の真下からボクシング観戦の歓声が大きくなるタイミングに合わせてバールを使ってドアを開けました。キャビネットを倒したら最後です。体が少し入るくらいの隙間が空きました。



メンバーたちはスーツケースをそれぞれ持って事務所に入りました。書類を詰め込み事務所を出ると、近くにある裁判所の正面玄関には、24時間体制の警備員がいました。その前で、スーツケースを荷台に押し込み全員が車に乗り込みました。


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向かった農家



ボニー
車が走り出すと、無事にやってのけた、という安堵感が押し寄せてきました。もしものことを考え、高速道路は使わずに裏道を通って集合場所に向かいました。少々のドライブをして集合場所の農家に再招集し、開梱を始めました。


キース
予想に反して、書類の多くは基本的人権を無視した違法な監視の記録だったのです。「黒人学生の監視について」「FBI捜査官を潜入させて反米的な学生団体を監視する」などFBIのスパイ活動やコインテルプロ(FBIが行う諜報活動プログラム)など、フーヴァー下のFBIの機密文書が多くありました。このような機密文書は本部などに移送されていてないものと思っていたメンバーたちは驚きました。



何日もかけてみなで整理作業をしましたが、作業中手袋を決して外したりしませんでした。これらの機密文書を手分けして、ひとつはニュージャージー州のプリンストンへ発送しました。



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ベティ・メジャー




ベティ・メジャー 元ワシントンポスト記者
ある朝、ワシントンポストに郵便物が届きました。メディアの報道はわずかだったし、あまり重要に思っていませんでしたが、まさか盗まれた書類が送られてくるなんて…。



信じがたい内容でした。郵便配達人が大学教授なの住まいの情報を流していたり、大学の郵便仕分け人が勝手に手紙を開封したり…。驚くことにFBIは捜査官に、「すべての郵便受けの裏にFBIがいると思わせろ」と書かれてありました。



ベン・ブラッドリー ワシントンポスト編集主幹

送られてきた書類が本物か確認しようとしました。



ベティ・メジャー
編集者と話し合い、本物かどうか確認するのは簡単でした。FBIから「その書類は本物だから決して公開してはならない」と伝えてきたのです。同じ時に、ニューヨークタイムズとロサンゼルスタイムズも郵便を受け取っていました。どちらもすぐにそれをFBIに提出しました。


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ベティ・メジャー
ワシントンポストは格闘していました。盗まれた書類が送られてくるなんて、前代未聞でしたので、報道機関としての対応が決まっていなかったのです。でもあの日は、数時間で答えを出さなければならなかったのです。司法長官から何度も電話がかかり、公表しないよう念を押されました。


ベティ・メジャー
ワシントンポスト紙の発行人キャサリン・グラハムの葛藤は大変なものでした。でもこの経験があったからこそ、ウォーターゲート事件で毅然とした対応ができたのだと思います。編集者たちは、これを記事にすべきだとグラハムを説得しました。最も権力のある政府機関の不正を暴く、重大な情報だと訴えたのです。グラハムはその日の夜10時に公表を決断、記事は翌朝の一面を飾りました。


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ボニー
大騒ぎになりました。それまでFBIとベッタリだった新聞も、辛辣な批判記事を載せるようになりました。一方で窃盗犯を非難する声が上がりました。


“アメリカ版ゲシュタポ”に仕立て上げられている(ボブ・ドール上院議員)


アメリカは“警察国家”とは似ても似つかない(リチャード・ニクソン大統領)


善良で忠実なアメリカ市民にとって、連邦捜査局が連邦“威嚇局”と化したのです(ジョージ・マクガバン上院議員)




実はFBIは書類が盗まれた翌日、早くも犯人を特定していました。徴兵委員会で証言したことのあるジョン・ピーター・グレイディという人物でした。


キース
グレイディは素晴らしい人物でした。やったのはグレイディだと断言しているのを見ると、吹き出しそうになりました。でもそう言われてほとんどの人がそう信じていました。



他にもたくさんの人が疑われていました。反戦集会に参加していた何千人もの市民です。大勢の捜査官が押し寄せ、会社員や主婦を聴取していました。「女性魁皇運動の集会でFBIを議題にしたか」と聞かれた人もいました。



「正体不明の女が、事務所の下見をしたと思われる」



フーヴァー長官は、この女性の氏名を聞いていなかったことを激怒したという。この女性は、


白人女性、25歳、身長165センチ、体重55キロ、茶色の髪という詳細とともに、全米のFBI捜査官事務所に送りました。この似顔絵は、対外秘扱いで、「全力で特定せよ」というものでした。



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FBIフーヴァー長官



ボブ(ウィリアム)
職場にFBI捜査官がふたりやってきました。聞きたいことは何も答えることはできない。自宅に来てもいいというと、本当にやってきました。


ボニー
事件が公開されてから、電話は自宅のではなく公衆電話を使うようにしました。誰かが家に来ても、子どもたちには「両親はいない」と答えるよう言い聞かせていました。


ジョン
わたしたちは知りませんでした。コピー機にはそれぞれ特徴があって、書類をコピーしたコピー機を調べれば出所がわかる恐れがありました。その後どうやらコピー機を特定したようでした。



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勤務先のテンプル大学で、秘書がコピー機からサンプルにかけると話しているのが聞こえて、いつの間にかゼロックス社の車が止まっていて、コピー機のドラムを持って帰りました。急いでハバフォード大学のビルに電話し危険だからすぐにコピー機のドラムを外すように言いました。対象は型番660のコピー機だと話しました。


――ゼロックス社は、コピー機のリストをFBIに提出――



数週間が経った頃、玄関のベルが鳴り、10番目の男が立っていました。「君たちのことを警察に届けようか迷っている、君たちが盗んだ書類の中には国の安全保障に関わるものもある」彼はそう言いました。私はそんなのはデマだと言いました。安全保障に関わる書類なんてなかったと言いました。ひとまず納得したようでしたが、私たちの運命は彼が握っていました。



――窃盗事件から2ヵ月、FBIはいまだ犯人を逮捕できていません。
犯人は盗んだ書類の中から情報を公表し続けるでしょう――



キース
全員が逮捕されることはもうないだろうと思っていました。誰かが捕まるならそれは情報漏れだろうと思っていました。ある日、カムデンの運動に参加しないかと誘われました。ぼくたちは逮捕されましたが、口を割ることはあり得ませんでした。その後の裁判で無罪を勝ち取りました。



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カムデン徴兵委員会は彼らが起こした窃盗事件により、信用されていませんでした。都合のいいことに、FBIはメディア事件(彼らが起こした)とカムデン事件を同一犯とみなしていました。


ジョン
これでFBIが追ってくることはなくなったと安堵したのです。


ベティ・メジャー(元ワシントンポスト記者)
実はFBIは、コインテルプロに関する暗号が漏れることを非常に恐れていました。彼らから送られてきた文書の中にもひとつだけ、コインテルプロに関する文書がありました。誰もこの言葉の意味がわかっていなかったのです。これこそがもっとも衝撃的な文書だったのです。



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カール・スターン(NBCリポーター)
1972年春、反戦運動に対するFBIの捜査方針ついて取材するため、ある上院議員の事務所を訪ねました。簡単な書類かコピーでもらえないかと頼みました。事務所の女性職員は、用意するので少し待ってくれと言いました。そして私が興味がありそうな文書を選んでコピーを取ってくれたのです。その文書がメディアの街での窃盗事件で持ち出されたものの一部だとは、その時は気づいていませんでした。


カール・スターン
ある文書を見て驚きました。FBI捜査官に宛てた指示が書かれていたのです。匿名で大学教授に手紙を出して、新左翼に対し、強硬な態度で臨むよう促す内容でした。いったいなんだ?と思いました。FBI捜査官は、匿名の手紙を書くのか?と…。



事実FBIはキング牧師と妻に匿名の手紙を送っていました。ノーベル平和賞受賞の少し前でした。
手紙の内容は仄めかしを使って、


「お前がやり残したことがひとつある。残された時間はあと34日」…
「この日数には明確な証拠がある」
「お前は用済みだ」



キング牧師はそれを読んで、「自殺を迫られた」と?…そう考えられます。



カール・スターン
タイトルは、「コインテルプロ ニューレフト」新左翼
私はアメリカの情報公開法に基づき、FBIが属する司法省に情報開示を求めました。この文書が何を意味しているのか、このプログラムはどれだけの範囲に及んでいるのか、教えてほしいと。―――数か月かけて何度も求めましたが、司法省は開示を拒否し続けました。最後に私は判事にお願いしました。すると判事はこの文書を見て司法省に情報開示を命じてくれました。



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画像はこちらから



カール・スターン
最初に、司法省は私の請求に答えて、4ページの書類を提出してきました。その書類には、黒人差別のことや、ブラックパンサーのこと、そしてコインテルプロのことが7件も記されていました。最終的に5万ページの書類が公開されました。4ページから5万ページにたどり着いたのです。



FBIが長年にわたってやってきた悪事を暴くきっかけとなったのがフィラデルフィアの窃盗事件でした。そしてCOINTELPROコインテルプロ、カウンター・インテリジェンス・プログラムというFBI自らが、混乱を引き起こす活動をしていることが世間に知ることとなりました。



キース
今回告白することにしたのは、ビルの体調が悪化したからです。私はその他大勢の人物ですが、ビルのような偉大な人はあまりいません。彼が大一番に多大な犠牲を払って社会に貢献したことを知ってほしかったのです。


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ジョン
なぜ子どもを危険にさらしてまで、と問われます。私はこう答えます。
「もしみんなが事なかれ主義になってしまったら、アメリカの政府を国民から奪おうとする連中が野放しになってしまうのでうす。そうなれば、結局国民は危険にさらされるのです」



1976年FBIはメディアでの窃盗事件の捜査を打ち切った…。
メンバーのうちボニーだけは捜査線上にあがらなかった。


しかし2001年の同時多発テロ以降政府の権限は再び拡大しつつある


以上







参考サイト
www.tabletmag.com
www.nbcphiladelphia.com
www.nytimes.com
www.democracynow.org


posted by キキ at 02:00 | 歴史の真実 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする