2016年03月23日

バカをつくる学校「義務教育はこうして生まれた」







バカをつくる学校「読み・書き・計算」は百時間で学べる
バカをつくる学校「7つの教育方針」
バカをつくる学校「隠れたカリキュラム」


Dumbing Us Down: the Hidden Curriculum of Compulsory Schooling

義務教育という形態は、1850年ごろ、マサチューセッツ州で考案された。当初、住民の約80%がこの制度に反対し、銃で抵抗することさえあった。最期の砦となったケープコッドのバーンステーブルでは、1880年代までそうした抵抗が続いたが、街はついに義勇軍に包囲され、子どもたちは護衛つきで学校へ向かった。


ここで、おもしろいデータがあります。
同州の上院議員エドワード・ケネディの事務所が発表した文書によれば、義務教育が導入される以前、州の識字率は98%でしたが、導入後は、1990年の91%が最高だということです。


もうひとつおもしろいデータがあります。現在、ホームスクーリング(自宅学習)の運動が静かに広がり、約150万人以上の子どもが親から教育を受けています。教育専門誌によれば、自宅学習の子どもの思考力は、学校に通っている同級生より、5年から10年進んでいるということです。



続けます。

私は学校がすぐになくなるとは思わない。おそらく、私が生きているうちは無理だろう。しかし、無知による悲劇をこれ以上広げないために、わたしたちは「学校」という教育制度(教育などしていないが)をよく知る必要がある。


学校の問題点は、何よりその目的にある。それは教師の質や予算不足とは関係ない。そもそも、教育と学校制度とは、同義語になり得ないのである。


最初に学校制度の構想をまとめたのは、教育改革者のホーレス・マン、シカゴ大学のハーバードとシアーズ、コロンビア教育大学のソーンダイクといった人びとで、その目的は大衆を厳しく管理することだった。つまり、学校は公式どおりに行動する人間、コントロール可能な人間を生み出すためにつくられたのである。


この役割はみごとに果たされ、社会ではますます階級化が進んでいる。そこでは、「支配階級」だけに自立と個性が許され、それ以外の大衆は問題にされない。弱者を守る地域社会は衰退し、孤独なネット社会だけが生き残る


従うことに慣れた人びとは、写真のフィルムやかみそりの刃を売ったり、単純な事務処理をしたり、電話のオペレーターをしたり、パソコンの入力をしたりするだけで、自分の頭で考えることを知らない。要するに、他人に対しても、自分に対しても、役に立たないのである。


こうした悲劇の原因は、30年前にポール・グッドマンが言ったように、バカげた学校制度にある。教育改革をするなら、この不条理な制度を何とかしなければならない。


同じ年齢、同じ階級の人びとをまとめて監禁するような制度に従うことは、人生を台無しにすることにほかならない。それは人間のあらゆる可能性を奪い、人びとを過去や未来から切り離して、ただ連続する現在にとどめようとするのだ。


チャイムの音で教室を移動させ、個人のプライバシーどころか、家庭という聖域にまで踏み込んで「宿題」をやらせようという学校―――そんなところで子ども時代を過ごすのは、実に愚かで、不自然なことである。


「でも、読み書きはどうやって覚えるの?」と思う人もいるだろう。マサチューセッツ州の話を思い出してほしい。狭い教室での授業より、自由を与えられた子どもはそれが自分の人生に必要だと思えば、簡単に読み書き・計算を覚えるものだ。


ただし、アメリカでは、読み書き・計算ができてもあまり尊敬されない。この国では、話すことがもっとも重視され、言葉を口に出して初めて富や賞賛が得られる。そのため、子どもたちはそんな大人を真似して、話してばかりいる。彼らに「基礎」を教えるのはむずかしい。それはもう今の社会にとって基礎ではないからだ


【テレビ・学校・習い事】

現在、こどもたちの生活は2つの習慣に支配されている。それは「テレビ」と「学校」である。この2つは、彼らが分別や態度、勇気や正義といったものを学ぶ機会を奪っている。そもそも、幼少期や思春期というのは、実際に仕事を体験したり、冒険したり、思いやりを知ったり、自分が本当に学びたいと思うことを見つけたりする時期だった。


子どもはその時期の大半を地域社会で過ごし、あらゆる人々との交流をとおして、家庭を築く方法など、一人前の大人になるための知識を学んだ。ところが、今の子どもたちにはそうした時間がない。


週168時間のうち、56時間は眠るとして、彼らの自己形成のための時間は週120時間である。報告によれば、最近の子どもは週55時間テレビを見るというから、残りは週57時間になる。


しかし、彼らは週30時間を学校で過ごし、約8時間を通学とその準備に使い、さらには週約7時間を宿題に費やす(合わせて45時間)。しかも、彼らはこの間ずっと監視され、プライベートな時間どころか、個性を示そうとすれば罰せられる。


結局、彼らに残された時間は週12時間だが、当然食事もする―――家族そろっての夕食はめったにないため、それほど長くはかからない―――ので、それを週3時間と考えると、自由な時間は実質週9時間ということになる。


一旦中断
これは数年前のアメリカの話ですが、これにさらに時間がないのが、日本です。ある日の小学生は、16時頃下校、校門前に親が塾に送り届けるために車で待機、おにぎりを車の中で食べさせます。そして30分くらいで塾に到着、予習かなんかやって17時から授業、20時くらいに授業が終わり、また親が塾に迎えにきます。これを週に3回くらいやっています。


塾の開始時間が遅い場合は、自宅でわずかに遊ぶ時間があります。ボール投げしたり、テレビ見たりできます。でも塾に行ってトウゼン帰宅は遅くなります。例えば公文などに行っても、週2回くらいは1時間半くらいこうした勉強をするようです。イマドキのお子様は器用で、曜日によって、公文、ピアノ、ヴァイオリン、水泳などをこなします。






話しを戻します。

これではとても時間が足りないのではないだろうか。たしかに、裕福な家の子どもはテレビを見る時間が少ないが、その代わり、彼らは意に沿わない習い事に追われている。


こうした「時間割」は、依存的な人間を作り出すための隠れた手段だ。彼らは自分の時間の使い方がわからず、事故の存在の意味も目的も、その喜びもわからない。この依存的で無目的な生き方は、国民的な病気である。それは学校やテレビ、習い事と深い関係があるはずだ。



深刻な社会問題―――麻薬や暴力、愚かな競争、性の乱れ、ギャンブル、アルコール、そして金品への執着―――もまた、じつは依存的な人格による病気であり、学校教育の産物にほかならない。
以上抜粋


ネパールは貧しい国です。貧富の差も激しくあり、カースト制が大きな壁になっていて、人びとの差別も大きいのですが、ネパールに尽力した草の根の医師、岩村昇さんは、著書の中で「男の子は、10歳にもならぬうちにある日いなくなり、インドなど着のみ着のままで冒険し、数年後帰ってくる」と書かれてありました。とてもしっかりしているんですね。

バカをつくる学校「そして子どもはこうなった」へ続く







バカをつくる学校
ジョン・テイラー・ガット著より
posted by キキ at 17:15 | 書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする