2016年03月07日

大東亜戦争の始期と終期








今日のお話は、要約すると「大東亜戦争と太平洋戦争は別物」ということと、「実は第二次世界大戦はまだ終わっていない」という2点です。


まず「大東亜戦争と太平洋戦争は別物」です。
よく、第二次世界大戦=太平洋戦争=大東亜戦争と、ごっちゃにする人がいますが、これらは時代が重なっていますが、まったく別物です。
まず、戦争開始の始期が違います。


1 大東亜戦争   始期 昭和12年 7月7日
2 第二次世界大戦 始期 昭和14年 9月1日
3 太平洋戦争   始期 昭和16年12月8日



戦争と戦闘は異なります。
戦争は、国家対国家が武力を用いて行う究極の外交行為です。
ですから、たとえばスペインに領有されたルソンで、ルソン島民が大規模な反乱を起こしても、これは戦争とは呼びません。


ただの反乱であり、テロの一部とみなされます。
台湾二二八事件は、台湾の人々による国民党占領軍への大規模な反乱でしたが、これまた二二八戦争とは呼びません。


国家と民間人の戦いであるからです。


同様に、支那事変は戦争ではありません。
支那事変は、支那で起こった大規模な日本をヤリ玉にした大規模な反乱であって、当時の国民党は単なる軍閥のひとつであって、国家ではないからです。


国家というなら、民生と対外的責任の所在地としての中央政府が存在しなければなりません。
つまり国家には国家としての責任能力が必要なのです。



そうでなければ、国家として対外的にも体内的にも責任を取ることができないからです。
つまり誰かが国家を標榜しても、責任能力が伴わなければ、それは、ねずさんがいま「ねず国」を標榜しても誰からも相手にされないのと同じで、国家とはいえないのです。



そして戦前の国際標準の理屈では、責任能力のない王国やその他地域は、その国の民衆のために大国がこれを植民地もしくは保護国等とするということになっていました。


これが欧米列強による植民地統治の理由ですし、こうした考え方から、当時の支那は11カ国が介入して軍隊を駐屯させていました。そしてその駐屯は、大清帝国存続時に北京議定書に基づいて派遣されたものです。


条約に基づいた兵の派遣は、たとえばいまの日本の米軍基地がこれにあたります。
間違いなく米軍は条約に基いて基地を日本に置いていますが、仮に日本国政府が崩壊して日本が内乱状態になって、無数の政府が名乗りをあげている状態になったとしても、米軍基地が撤兵することはありません。


撤兵が行われるとすれば、新たな中央政府が確立し、その中央政府との間で撤兵条約が締結されてからのことになります。


ですから北京議定書に基づいた日本を含む列強11カ国の支那への派兵は、その後に清國政権が崩壊し、中華民国政権が生まれ、これまた崩壊して内乱状態にあったのです。


20160306210154ecb.jpg



すこし掘り下げます。
支那では、大正5(1916)年に袁世凱が中華帝国皇帝即位を宣言しましたが、内外の反対で断念しています。その袁世凱は、同年、まもなく死亡し、支那は各地の軍閥が割拠する全面的な内乱状態になっていました。



北京には、袁世凱以降を受け継ぐ北京政府がありましたが、この北京政府は袁世凱の死亡後、段祺瑞の安徽軍閥と馮国璋の直隷軍閥、張作霖の奉天軍閥に分裂して争っていました。その奉天軍閥は、吉林軍閥とも争っていました。


直隷軍閥が、張作霖の奉天軍を仲間に引き入れて安徽軍閥を破ったのが大正9年(1920)年です。
これが安直戦争です。


北京政府はこの年、北京政府の大統領であった曹錕が「中華民国憲法」を公布していますが、その曹錕が収賄で10月には北京を終われ、憲法も消滅しています。


こうした北京周辺の動きに対して、広東では孫文が広東政府を打ち立てたのが大正6(1917)年です。
一方、新たに軍事力を握った蒋介石は、国民革命軍を名乗って昭和2(1927)年に旗揚げし、翌昭和3年には南京に南京国民政府を立ち上げています。


ところがその南京政府は、南京を放棄してさっさと重慶へと逃げ出し、南京には新たに汪兆銘を首班とする汪兆銘国民政府が樹立されています。


要するに昭和12年当時の支那というのは、いくつもある軍閥が、それぞれに勝手に争っていたのであり、およそ中央政府のある国家とは程遠い現状にあったわけです。


そして支那において、軍とヤクザと暴徒は同じものです。
屈強な男たちが仕事もしないで武器を手にして集まっているのが軍閥です。
集まれば、人は食わなきゃならないし、武器を買うにはお金が要ります。


それをどのようにして集めていたかといえば、庶民からの一方的な収奪です。
これは軍というより、明らかにヤクザです。


そしてそのヤクザの中の大手が、それぞれ勝手に政府を名乗っていたわけです。
これによって、日本人を含め、支那にいた外国人はみんなたいへんな迷惑をしています。


また蒋介石率いる重慶政権、つまり後年の「中華民国」が、支那を代表する政府として認められる存在になったのはいつかというと、実は大東亜戦争のさなかである昭和18(1943)年11月のことです。


なぜ蒋介石がこのときいきなり支那を代表する正式な政府になったかというと、日本が関係しています。この年の11月5日〜6日にかけて日本は、


 中華民国(南京)国民政府 汪兆銘行政院長
 満州国          張景恵国務総理大臣
 フィリピン共和国     ホセ・ラウレル大統領
 ビルマ国         バー・モウ内閣総理大臣
 タイ王国         ワンワイタヤーコーン親王
 自由インド仮政府     チャンドラ・ボース首班


を招いて、大東亜会議を行い、大東亜共同宣言を世界に向けて公表しました。
これをやられると植民地支配に困ることになると判断した米英が、急遽、エジプトのカイロに蒋介石を招いて、12月1日付けで発したのが「カイロ宣言」です。


つまり蒋介石の中華民国(重慶)政権が、正当な政権として連合国から認められたのは、なんと昭和18(1943)年の12月の出来事でしかなかったのです。


この年は、アッツ島の戦いがあったり、タラワ・マキンの戦いや、ブーゲンビル島の戦いがあったりした年です。つまり、戦争もかなり押し迫った状況下にあった時期の出来事です。


大東亜戦争の始期、最近のお馬鹿かな学者さんのいう「日中戦争」の始期である昭和12年時点では、世界中のどこにも蒋介石を正当な支那の政権として承認している国はありません。


それをあたかも「日中戦争」という用語で、まだ存在さえもしていなかかった中共政府と日本が戦争したかのような目眩ましをするのは、ただの政治謀略です。


話を戻します。

大東亜戦争という呼称は、昭和16(1941)年12月12日に東條内閣において、
「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」
として閣議決定された呼称です。
決定事項は次のとおりです。

*********

今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ
昭和16年12月12日 閣議決定


一、今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ
  生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ
  大東亜戦争ト呼称ス
二、給与、刑法ノ適用等ニ関スル平時、戦時ノ分界時期ハ
  昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス
三、帝国領土(南洋群島委任統治区域ヲ除ク)ハ
  差当リ戦地ト指定スルコトナシ
  但シ帝国領土ニ在リテハ第二号ニ関スル個々ノ問題ニ付
  其他ノ状態ヲ考慮シ戦地並ニ取扱フモノトス

*********

一、に明らかなように、「支那事変も含めて大東亜戦争と呼称す」とされています。
支那事変の始期は、昭和12(1937)年9月2日の閣議決定で、「今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト称ス」と正式決定されています。


ですから大東亜戦争の始期は、昭和12年7月7日になります。


このことが重要な意味を持つのは、二にありますように、「給与、刑法ノ適用等ニ関スル平時、戦時ノ分界時期」を明確にする必要があるからです。


早い話、どこかの国の外国人が日本にやってきて、日本人を殺せば、これは平時における殺人ですから、当然に処罰の対象です。


けれどそれが交戦国の人であり、日本の制服軍人を対象とした殺人であったなら、これは戦争行為ですから処罰の対象にはなりません。


また、戦争当事国と中立国の関係も戦時と平時で異なります。
戦争当事国には、直接ドンパチをやっている国だけではなく、そのドンパチ国に武器の提供をしたり、基地や食料を提供している国も、敵性国家として戦争当事国に含まれます。


従って中立国というのは、絶対にどちらにも加担してはいけないというのがルールです。
レスラーがリンクの上で堂々と戦っているのに、観客がリンクにあがって乱闘を始めたら勝負にならないし、レスラーが観客を襲い始めたら、これは不法行為です。


実際には支那事変において、米英は日本と敵対する国民党軍閥に武器や食料の供与をし、また形こそ「退役軍人」という形式をとっていますが、米軍を支那に派遣しています。


つまりその意味では米英は中立国ではありませんが、同時にこのことは、支那事変が戦争ではなく、米英が中立国という立場でもないというところから、日米貿易、日英貿易は、引き続き行われていたわけです。
つまり支那事変が「戦争」ではないということです。


ところが真珠湾の2日後に、東條内閣が「支那事変を含めて大東亜戦争と呼称す」と閣議決定したのは、結果として日米英が開戦となったことを、あとから追認したことを意味します。


繰り返しますが、戦争は、国家対国家が行うものです。
従って、支那事変における当時の支那人たちは、国家ではないので戦争当事者足りえません。


それがなぜ、大東亜戦争に含むとされたのかといえば、それは支那事変における真の敵国が、米英であったことを、内閣が遡って追認した、ということなのです。

 *

では、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃の日は、どういう日かというと、これは大東亜戦争の中における、対米戦争の始期ということになります。


対米戦争は、太平洋戦争とも呼ばれますので、この場合の始期は昭和16年12月8日になります。
太平洋戦争は、日米の戦争ですから、東アジアにおける戦いは太平洋戦争に含まれません。


ですから山下中将によるシンガポール攻略も、苦しかったインパールの戦いも、拉孟の戦いも、太平洋戦争には含まれません。

なぜなら、そこは太平洋ではないからです。

 *

では、第二次世界大戦の始期はいつかというと、これは昭和14(1939)年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻です。


この日ドイツ軍とスロバキア軍が、ポーランド領内に侵攻しました。
これを受けてポーランドの同盟国であった英国とフランスが、9月3日にドイツに宣戦布告し、続いて9月17日にソ連軍がポーランド領内に侵攻して、まさにヨーロッパ全土を巻き込む大戦が始まっています。


世の中は、戦時と平時に分けられます。
戦時であれば、戦時国際法が適用されますから、戦争捕虜が発生します。
戦争が集結すれば、捕虜は開放されます。


そして戦時であれば、国際法上、敵国と同盟国、中立国が発生します。
それ以外はありません。


仮にA国とB国が戦争になったとします。
そのときC国が、A国に武器の供与をしたり、軍事基地を提供すれば、それは中立国ではありません


ですから、B国は、C国に攻めこむことができます。
つまりB国にとって、C国は敵国です。
これが国際法に規定する戦争当事国です。
そしてその状態は、戦争終結時まで続きます。



北朝鮮は、昭和28年に米国との間で朝鮮戦争の休戦協定を締結しました。
(韓国とは休戦協定はありません)
ですから北朝鮮と米国は、いまなお戦時下にあります。


北朝鮮と米国が戦時下にありますから、韓国に米軍基地があるのです。
そして北朝鮮と米国が戦時下にあるということは、米国に基地提供をしている日本は北朝鮮にとって敵国です。


つまり日本は朝鮮戦争の戦争当事国です。
ということは、本来であるならば、日本にいる北朝鮮人は、全員逮捕して捕虜として収容施設に入れておくべき存在です。


あろうことか在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)が大きなビルを保有し、日本国内で自由にスパイ活動をしたり、彼らの学校を造ったり、あるいは彼らの銀行を作り、その営業経費や損失金の補填を日本国政府が行うなどということは、世界的にみれば、あり得ないお花畑ということになります。


ついでに申し上げると、戦争状態にあるということは、日本にいる北朝鮮人が日本人を殺しても、それは戦争行為であって功行賞に値することということになります。


また日本人を拉致することも、戦争行為の一貫ですし、日本に向けてミサイルを発射することも、戦争状態ですからあたりまえの行為ということになって正当化されます。

 *

要するに、戦時下であるかないかで、国内的には国民の待遇はまるで異なるし、国際的には戦時国際法の適用有無が決定付られます。


ですから、戦争の始期は、とても重要な意味を持ちます。


ところが戦後の風潮として、第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争の区別が曖昧にされ、保守系の先生でさえも、太平洋戦争と大東亜戦争の用語をごっちゃにして、同じものを指しているかのように使われているケースが多々見受けられます。

この点は注意が必要かと思います。

 *

つぎに戦争の終期です。
なお、大東亜戦争の戦争の終期は昭和20年8月15日と思っている人が多いようですが、この日は陛下が日本の国内向けに戦闘の停止の玉音放送を行った日であって、戦争の終期ではありません。


整理しますと次のようになります。

ポツタム宣言受諾 昭和20年8月14日
帝国臣民への告知 同    8月15日
休戦文書調印   同    9月 2日
戦争の終結    昭和27年4月28日



ところが第二次世界大戦という目で見ると、実は日本に関しは、戦争は終期を迎えていません。


たとえば第二次世界大戦の終期は、ドイツについては、
平成6年8月31日 です。


ところが日本については、まだ戦争は終わっていません。
第二次世界大戦について整理すると次のようになります。


イタリア降伏  昭和20年 4月28日
ドイツ降伏   昭和20年 5月 7日
日本降伏    昭和20年 9月 2日
日独以外の講和 昭和22年 2月10日
西ドイツ講和  昭和26年7月〜10月
日本講和    昭和27年 4月28日
東ドイツ講和  平成 3年 3月15日
独へのソ連撤兵 平成 6年 8月31日
日からの米撤兵 継続中



要するに第二次世界大戦という目で見る場合、連合国(=United Nations、=国連)との戦争状態は、なんと平成3年まで続いていたし、さらに「戦争当事国からの撤兵」という観点からすれば、日本にはいまだに米軍が駐屯していますから、戦争継続中の扱いになっているということになります。



また日本国憲法も、占領統治下の日本人服務規程として作られた経緯があります。
しかも憲法と云う名前まで強要されています。


そして名前が憲法だから、後生大事に日本人は守り続けていますが、米軍基地が有り、占領統治の服務規程がいまだに押し付けられたままになっているということは、日本の第二次世界大戦は、いまだ終結していないということです。


一日も早く戦争が終わってもらいたいものだと思います。

以上、


戦争はまだ終わっていない…。これについてもちろん私も含め、ネット民以外は特に知らない人が多いと思います。「現在日本は戦時下にある」とネットでもおっしゃっている人がいますが、このあたりの歴史をしっかりと認識されてのことだと思います。


真に人が目覚めるには、日本の正しい歴史を知ること、魂について知ることが必須である、と、私にメールをくださった方からの言葉です。なぜ、今の日本がこうなのか、なぜ、今の世界がこうなのか…。それをひとつひとつ考えてみたいと思い、折りに触れ、ねずさんの記事をご紹介したいと思います。







記事引用は⇒ねずさんのひとりごとさんより


posted by キキ at 10:53 | 歴史の真実 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする