2016年02月08日

バカをつくる学校「隠れたカリキュラム」








バカをつくる学校「読み・書き・計算」は百時間で学べる
バカをつくる学校「7つの教育方針」


しかし、この事態は避けられないものではない。
こう著者は続けます。この現代の教育方針が浸透している現代社会でどのような方法があるのか、それを記述してみたいと思います。


Dumbing Us Down: the Hidden Curriculum of Compulsory Schooling

以下書籍より
私たちには子どもをどう育てるかについての選択肢があり、正解は1つではないからだ。社会の錯覚を打ち破ったときにこそ、真実が見えてくる。マスコミは嘘の事実を煽っているが、実際、この国の(アメリカの)存在を脅かすような国際競争は存在しない。


エネルギー資源も含めて、アメリカはあらゆる面で自給自足できる国なのだ。これは一般的な政治経済学者の意見とは異なるが、彼らの言うアメリカ経済の「重大な変化」もまた、避けられないものではない。


グローバル経済は、人びとの真の要求に応えていない。私たちが求めているのは、やりがいのある仕事、手ごろな住宅、充実した教育、適切な医療、楽しい環境、誠実で責任感のある政府、社会や文化の再生、あるいは純粋な正義である。


ところが、この国は生産性ばかりを追求し、大衆の現実とはかけ離れた生活を提案している。私はそれが明らかな間違いだと思うし、別の生き方を知っている人なら、ほとんどがそう思うはずだ。
ここまで、


自給自足が可能であるアメリカに対して、日本は違いますが、私たちの欲しているもの、「やりがいのある仕事、手ごろな住宅、充実した教育、適切な医療、楽しい環境、誠実で責任感のある政府、社会や文化の再生、あるいは純粋な正義」については、全く同じように人間として思うものです。



競争社会であり、たまに電車に乗ってみると、密かに見知らぬ相手と競っていそうな人、まったく他人のことは知らないという風な人、目つきの悪い人、などが多くなったと感じるところがあります。温かい雰囲気、温かいまなざしの人は、なかなか見つかりません。パウロ・コエーリョ著の「アルケミスト」には、「どうしてそんなによそよそしいのか」いう描写がありますが、すべては目を通してお見通しなのかもしれません。



続けます。
人生の意味とは、家族や友人、自然、季節の移り変わり、ささやかな儀式、好奇心、寛容、情熱、他者への.適切な自立やプライバシーの中にある。また、自由でお金のかからない真の家族、真の友人、真の地域社会の中にある。こうした人生哲学を取り戻せば、私たちはみずからの生活に満足し、世界経済の「専門家」が提唱する物質的満足は必要なくなるだろう。



【学校制度の有害度】

そもそも、「学校」という牢獄はどうやって生まれたのだろう。
簡易的な学校はさまざまな形で存在したし、それなりに子どもの育成に役立っていた。しかし、いわゆる現代の学校教育が生れたのには、次の3つの要因が考えられる。


1つは、2度にわたる「赤の恐怖」---------1848年と1919年--------で、当時、有力階級は激しい労働者による革命を恐れていた。


もう1つは、1840年代からのケルト系、スラヴ系、ラテン系移民の流入だ。アメリカの伝統的な人びとは、
彼らが持ち込んだ異質な文化とカトリック教に反発を感じた。さらに、この伝統的な人びとは、南北戦争をきっかけに、アフリカ系アメリカ人の運動にも脅威を抱くようになった。


ここで、例の7つの教育方針を振り返ってみると--------
貫性のなさ、クラス分け、無関心、感情的、知的依存、条件つき自尊心、監視・・・・。


これらはいずれも、下層階級の人びとを社会の底辺にとどめておくためのものだった。しかし、それはやがて、貧困層の管理という本来の目的をさらに拡大させた。1920年以降、学校は、その制度によって利益を得てきた産業界とともに、貧しい家庭の子どもばかりか、中流家庭の子どもをも巻き込んでいったのである



ソクラテスが、金を取って教えることを非難され、憤慨したのは当然かもしれない。当時でさえ、哲学者の間では、教育が専門職として特化されていくことは明らかだったのである。



今の学校教育を考えれば、アメリカはたしかに危機的状況にある。しかしその内容はマスコミが伝えていることとは違う。子どもたちは、大人の世界や将来に無関心で、ゲームや暴力といった気晴らし以外、ほとんどすべてに冷めている。



裕福な家の子であれ、貧しい家の子であれ、何事にも集中力が続かず、過去や未来といった時間間隔にも乏しい。彼らはまるで両親が離婚した子どものように、愛情を信じない(それは学校が彼らを親から引き離しているからだ)。彼らは孤独を嫌い、残虐で、物質主義的で、依存的で、受け身で、暴力的で、予期せぬことに臆病で、娯楽に中毒になっている。



ゆがんだ学校教育は、幼少期のちょっとした傾向を異様なまでに増長させ、望ましい人格形成を妨げている。実際、学校や教師が生き延びているのは、子どもたちのこうした未熟さのおかげである。その証拠に、批判的思考の手段--------論理や自由な発想--------を教えようとする勇敢な学校は、どこも長続きせず、やがて破たんしてしまう。



現実の社会では、学校が教会の代わりとなり、人びとにその教えを信じさせているのである。
以上ここまで


いつからか、こうして義務教育制度が当たり前と受け止めて疑いもしなかった現在、支配からの脱却に目覚め始めた人も多いのではないでしょうか。これはアメリカでの制度のことですが、ほとんど日本にも当てはまります。では、義務教育はどういう過程で生れたのでしょうか。


バカをつくる学校「義務教育はこうして生まれた」へ続く







バカをつくる学校
ジョン・テイラー・ガット著より
posted by キキ at 09:01 | 書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする