富士山(3776m)という山は4層構造になっています。一番下の地盤になっているのは御坂統(みさかとう)という地層で、これは約2000万年前に形成されたものです。
その上に、20〜40万年前頃、小御岳(こみたけ)と愛鷹山(あしたかやま)が出現して、安山岩性の激しい噴火活動をしました。この愛鷹山は現在でも富士山の南側にその姿をほぼそのまま残しています。(標高1504m)
その後、2〜8万年ほど前に、小御岳の上に、古富士山が出現して活動をしました。この火山も激しい火山で玄武岩と火山灰の混じった泥流や火砕流を多く流しました。そして1万年前頃から現在の富士山が活動を始めます。
この山は柔らかい玄武岩質の柔らかい溶岩を何度も流し、小御岳・古富士を飲み込んでしまいました。新富士山の特に大きな噴火は1万年前と2200年前です。その後、歴史時代に入ってからの噴火記録は次のように17回あります。

噴火記録は次のように17回あります。
1. 781 桓武天皇の世。この噴火の後、北口浅間神社が現在地(富士吉田市)に移されたとされています。
2. 800-802 同じく桓武天皇の世。大噴火で、昼間でも真っ暗になるほど火山灰が降り、川は真っ赤になったと記録されています。足柄路が溶岩が熱いまま通れなくなったため、代わりに箱根路が開かれました。
3. 826 藤原冬嗣がなくなった年。
4. 864 清和天皇の世。大噴火で、青木ヶ原溶岩流が「せの海」を分断し、西湖・精進湖が生まれました。この後、山梨浅間神社が現地に移動しました。
5. 870 清和天皇の世。
6. 932 朱雀天皇の世。
7. 937 朱雀天皇の世。この噴火で山中湖が形成されました。
8. 952 村上天皇の世。
9. 993 一條天皇の世。
10. 999 同。
11. 1017 藤原道長の時代
12. 1033 藤原頼通の時代
13. 1083 後三年の役が起きた年
14. 1435 後花園天皇の世
15. 1511 吉田兼倶が亡くなった年。
16. 1707 徳川綱吉の時代。大噴火。関東一円に大量の火山灰を降らせて農業に大きな被害を与えた。川が埋まってしまって氾濫を起こした例もある。この時の火口が、富士山にこぶのように付いている宝永山 (2693m)です。
17. 1854 安政の世相の騒がしい時代。雪が融ける程度の小噴火。
(噴火の年代については資料によりばらつきがありますが、上記は理科年表の記事をベースにしました)
宝永4年の大噴火は11月23日の朝10時ころから始まり、約半月続きました。吹き出した火山灰の量は8億立方メートル。積もった火山灰の厚さは遠く離れた横浜でも5cmほどになりました。
3つの火口ができており、噴火は下の方の火口から順に起きました。この噴火の1月半前の10月4日には、遠州灘と紀伊半島沖で巨大地震が2つ同時に発生しており、この地震だけで2万人の死者が出ています。宝永の大噴火もこの宝永大地震が引き金になったと言われています。
以上、記事内容はコチラ⇒★富士山大噴火(1707)★より抜粋させていただきました