箸墓古墳
この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(邪馬台国畿内説)向きもある。
従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり卑弥呼が死亡したされる、3世紀前半との時期にずれがあるためその可能性は少ないといわれてきたが、最近年輪年代法や炭素年代測定法による年代推定を反映して古墳時代の開始年代を従来より早める説が有力となっており上記の箸墓古墳の築造年代は研究者により多少の前後はあるものの、卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説が有力になっている。
現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。
倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。(以上ウィキペディアより)
さて、箸墓はもちろん宮内庁の陵墓に指定されているが、天皇陵ではないのです。倭迹迹日百襲姫命大市墓が、その正式な名称です。
舌を噛みそうなこの名の女性は、第七代考霊天皇(第八代考元天皇の説もあり)の皇女で、有名な三輪山、箸墓伝説の主役でもあり『日本書紀』崇神紀十年の条には、謎に満ちた伝承が詳しく記されています。
百襲姫命は、御諸山(三輪山)の大物主神(おおものぬし)の妻となります。しかし、現在ならば俗に言う夫婦げんかの末に何か失態をし、深く後悔をします。その折、御諸山を仰ぎ見ながら急に腰をかがめたときに恐ろしい出来事に見舞われます。
その記述は
「即ち箸に陰を撞きてかむさりましぬ。乃ち大市に葬りまつる。故、時人、其の墓を号けて(なづけて)、箸墓と謂ふ。其の墓は、日は人作り、夜は神作る。故、大坂山の石を運びて造る。則ち山より墓に至るまでに、人民相踵ぎて、手遍伝(たごし)にして運ぶ」とあります。
内容は、自らの局部を箸で誤って突き、この世を去ってしまったので、葬られた墓の名が箸墓ということです。妻問婚の習俗を背景とする、箸墓古墳築造の不思議な伝説でありますが、百襲姫命とはいったい、どのような女性なんでしょうか…
考古学的には、大王くらいでないとそんな巨大な古墳が造られるとは考えにくいようですから、被葬者が百襲姫命と言う可能性はあり得ないのではないのかと思います。
大王の墓である箸墓になぜ、倭迹迹日百襲姫命の伝承が残されているのか、そも百襲姫命とはいかなる人物なのか…
そこに、その巫女的な人物像から『魏志倭人伝』に記されている邪馬台国の女王、卑弥呼ではないのか、という推理が浮上してくるのですね。
もしも邪馬台国が当時の倭国中央政権であった、ということならば、わが国の歴史書の中にも必ずどこかに記されているに違いないはず。こんなところから百襲姫命こそが実は卑弥呼であったのではないかと考えている学者の方も少なくはないのです。
さらにその卑弥呼が記紀(古事記、日本書紀の総称)で記されている皇祖神の天照大神と指摘される人もいるほどなのです。
いずれかの記紀をお読みになった方でしたら、気づかれているかもしれませんが、この百襲姫命のシャーマン的な人物像は「鬼道に事え、能く衆を惑わす」と倭人伝に記されている卑弥呼の人物像と共通するところが非常に多いのは否定しにくいところです。
さて、卑弥呼は百襲姫命?百襲姫命は卑弥呼?・・・・
卑弥呼についてはこの本が分かりやすい⇒天皇陵の謎
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