「今日は沢山話をしよう。
山羊使いの話だ。
山羊使いは、毎日山羊の乳を搾る。
そして、草を食べさせるために山へ行く。
新鮮ないい草は山に行くのが一番だ。
ところが途中で雨が降ってきた。
山羊使いは木の下へ行って雨をしのぐだろう。
ところが山羊はずぶ濡れだ。
木の下のスペースは狭い。
山羊が入れば山羊使いは濡れてしまう。
そこで山羊使いは考えた。
自分は木に登って、山羊を地面で雨宿りさせよう。
しかし、ことはそう簡単には運ばない。
木に登った自分が、山羊を紐で引っ張っても、山羊は少しも動かない。
まるで濡れていた方がいいかのようだ。
山羊は濡れることなんかかまわない。
むしろ、木に引っ張られたら首吊りだ。
そっちの方が嫌だ。
思いは別々だ。
これでは何も成し遂げられない。
山羊使いは骨折り損だし、山羊はずぶ濡れでしかも嫌な思いをした。
全ての生き物は、何かの思いを選択し、
それによって動かされていると言っても過言ではない。
だから、常にどんな思いに動かされているのか注意していなければならない。
そして、その時最も達成するべきことは何なのか、
よく考えておかなければならない。
そのように自分をコントロールできていないのなら、
その人は、ただの思考の奴隷だ。
思考に動かされているだけの、イデオロギストなのだ。
しかし、愛は、固い思考の一貫性を溶かす魔法の薬だ。
実は、思考の一貫性が行き過ぎて苦しんでいる人は、愛を求めているのだ。
愛という名の反逆者を。
人間は、程度の差はあるが、愛には動かされてしまう。
なぜなら人間は、常に愛を求めているからだ。
心の底から愛を求めている。
愛なくしては、人生など、何をしたところで、全て抜け殻のようになってしまう。
そして、愛がなければ、簡単に思考の奴隷になってしまうのだ。
あの人気の服を着よう。
愛する人に沢山お金をかけさせてでもするようなことではないことに気付かない。
そうして、愛が損なわれて行く。
本当に愛し合っていなくても、満足しているふりをする。
本当は、本当に愛を求めるのが怖いのだ。
本当に愛を求めた時、自分が本当に愛されているかどうか明らかになってしまう。
そして、そこそこの相手を見つけ、愛し合うふりへ持って行こうとする。
それなら、一人で居た方がまだいい。
愛に嘘を吐いていない。
しかし、本当に愛し合える人を誰もが求めている筈だ。
だから、死ぬまで探し続けなさい。
歳をとっていてもいい。
歳をとっていても人を愛する人は素晴らしい人だ。
不倫は良くないことだ。
それが浮気であるならば。
しかし、本当に愛し合ったならば、結婚するべきだろう。
人間は変化して行くものだ。
変化を抑え付けるのは罪だ。
本当に、より愛し合える人を抱きしめなさい。
現在の世界は、愛の生きる場所が少ない。
これでは、自分で自分の首をしめているようだ。
実は、心の選択は自由だ。
しかし、外的な理由で不自由になっていると思い込んでいる人が多い。
だから、挑戦しなさい。
挑戦し続けるのだ。
失敗し、傷つくのは良い兆候だ。
次はどのようにしたらよいのか分かるだろう。
しかし、本当に愛し合える人を見つけられるほどに挑戦し続けるのは
長い年月がかかるだろう。
そして、長い年月がかかっても見つけられるかどうかは分からない。
だから挑戦なのだ。
死ぬ時に、どうせ死ぬなら挑戦しておけば良かったと思うだろうか。
それは誰にも分からない。」
グルジェフとは
アルメニアに生まれ、「ワーク」として知られる精神的/実存的な取り組みの主導者として、および著述家・舞踏作家・作曲家として知られる。ロシア、フランス、アメリカなどで活動した。
ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。
20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。欧米の文学者と芸術家への影響、心理学の特定の分野への影響、いわゆる精神世界や心身統合的セラピーの領域への影響など、後代への間接的な影響は多岐にわたるが、それらとの関係でグルジエフが直接的に語られることは比較的に少ない。
人間の個としての成長との関係での「ワーク」という言葉はグルジエフが最初に使ったものである。近年ではもっぱら性格分析に使われている「エニアグラム」は、史実として確認できるかぎりにおいて、グルジエフがこれを世に知らしめた最初の人物である。精神的な師としての一般的な概念にはあてはまらないところが多く、弟子が精神的な依存をするのを許容せず、揺さぶり続ける人物であった。
(ウィキペディアより引用)
愛、愛情でもなく愛、愛ってなんだろう・・・
私が観た映画の中で一番心に残っているのは「アデルの恋の物語」。
ストーリーは、
「恋の情熱に取り付かれたヴィクトル・ユーゴーの次女アデルは、英国騎兵中尉アルバート・ピンソンを追って単身カナダに渡った。しかし、ピンソン中尉の心はすでにアデルには無く、つれない態度を取った。激しい恋の情熱と焦燥のなかで、アデルは次第に精神の平衡を失っていく・・・。」簡単ですがこういうもの。
この「アデルの恋の物語」のイザベル・アジャーニが演じたアデルは女の情念を演じた傑作だった。
彼女が19歳の時で、何をおいても代表作とされると思います。実際のアデルは33歳だったのですが、はかなげな役を見事にその若さで演じた自身も、この役がなかったら今の私はない、と話しています。
海岸でピンソン中尉がアデルに気づき声をかけようとする場面、アデルはその情熱の炎を燃やし続けた人に気づくことなく通り過ぎます。ふんわりとした足取りは狂気を漂わせ、胸の奥にずしりとくるシーンでした。最後の方の場面だったかもしれません。
ストーカーといえば一言で終わってしまうんですけど、素晴らしい芸術性を感じる内容ですヨ。
DVDでてます⇒アデルの恋の物語 [DVD]
グルジェフの書籍はこちら⇒生は「私が存在し」て初めて真実となる