2011年08月14日

「終わらない悪夢」NHK BSドキュメンタリー前篇から







BSドキュメンタリー 終わらない悪夢前篇
2009年フランス制作
報告ロール・ヌアラ


テレビ番組取材の1シーン…


インタビュアー
「不安の元凶は放射性廃棄物です……原子力開発にはブレーキが?」

アレバ社CEOアンヌ・ロベルジョン
「皆さんは家庭のゴミにさえ神経質なのですから…放射性廃棄物には恐れさえ抱いているはずです」

インタビュアー
「怖がりすぎかもしれませんが、当然ともいえるのでは?」

アンヌ
「これまで原子力産業は確かに配慮が足りませんでした」

インタビュアー
「透明性にかけていた?」

アンヌ
「ええ、社会の不安に鈍感でこう言い続けました、『心配するな、我々に任せておけばいい』…皆さんは、もっと知る権利があるとわが社は考えます、怖いものは怖いという権利も。タブーや秘密にされるテーマではありません、対話を始めましょう」

―――――――――――――


では、始めましょう

原子力産業は生まれたときから物議を醸してきました。いくら説明されても、安心はできませんでした。


EUヨーロッパ連合の最近の世論調査によると、原子力産業に不信感を抱いている人が75%に上りました。その根源には、放射性廃棄物に対する恐怖があります。

(画面は海に廃棄された朽ちたドラム缶が映されている、1950年から63年に投棄されたと推定される)


2000年6月に撮影されたこの映像は、放射性廃棄物のもたらす問題を目の前に突きつけました。

海底に放射能を帯びたボロボロのドラム缶が散らばっています。この中には何が入っていたのでしょうか…

・・・・

もっとも危険な廃棄物は原子炉で生まれます。発電所の原子炉には、ウランをつめた燃料棒が炉心に置かれます。燃料棒の内部でウラン反応を起こします。核分裂です。


ウランの原子が中性子中性子と呼ばれる粒子を放出しそれがほかの原子にぶつかって次々に分裂、大量のエネルギーを解き放つのです。


こうして燃料棒が熱を発することで、原子炉が水を沸騰させタービンを回して電力を生み出します。燃料棒は数年経つと使えなくなり、炉心から取り出されプールに沈められます。


そこで時間をかけて冷却されます。これが使用済み核燃料です。使われた燃料棒の内部には新たな放射性物質が生まれています。

プルトニウム、セシウム、アメリシウム、クリプトンなどです。

放射線を出す期間は、1000分の数秒のものから、数百万年のものまで、さまざまです。


放射性廃棄物は危険なので隔離しなければなりません。少しでも接触したものは、汚染されます。使用済みの燃料棒はもちろん、それに触れたものすべて水も設備も、作業服も、です。

(画面はおびただしい整然と並んだドラム缶が映っている)


(報告ロール・ヌアラ)

私たちはこれから世界中で放射性廃棄物が軍隊や民間でどのように管理されているか、住民に危険性はないのかを調べていきます。


調査は国際的な環境保護団体グリーン・ピースの本部から始めます。


冒頭で紹介した海底のドラム缶を撮影したのは、グリーン・ピースです。ビデオ保管室には、彼らにとって貴重な資料があります。


マイク・タウンズリー(グリーン・ピース本部)は長年放射性廃棄物の海洋投棄に反対する運動に参加してきました。

「私たちはフランス北西部の、ラ・アーグの沖英仏海峡のとある海域に深くもぐりました」

すぐそばに漁場や人々の集まる浜辺があります。

ロール「海底で何を見つけたんですか?」

タウンズリー「錆びたり壊れたりした放射性廃棄物用のドラム缶です。空っぽになったドラム缶ですよ。その中にうなぎなどが住み着いていました。そこで疑問なのが放射性廃棄物はどうなったのかということですが、外に漏れ出してしまったんです。・・・・


何が起きたかわかるでしょう?暗い海のそこに消えたわけではありません。食物連鎖の中に取り込まれたんです。その連鎖の一部となったものは、いつ私たちの食卓に上ってもおかしくありません



食物連鎖に入った放射性物質は危険なのでしょうか・・・


人間は絶えず自然界の弱い放射線にさらされています。例えば飛行機に乗ったり、花崗岩の多い地域を歩くときなどもそうです。原子爆弾が落ちた後や、放射線を出すもののすぐ近くにいる時には、強い照射を受けます。


また放射で汚染された食べ物や水を摂取したり、気体やチリを吸い込めば、放射性物質が臓器に付着します。放射線はいわば小さな粒子や電磁波の機関銃のようなものです。


細胞に入りDNAを傷つけます。放射線が弱ければ体は、DNAを修復します。しかしあまりに強い放射線を浴びると修復できません。


そして消化器官や心臓欠陥の病気、あるいはもっと深刻なガンや遺伝子の変異を引き起こしかねません。放射性物質を不用意にすてると、私たち自身が被害を受ける可能性があります。


ロール「海洋投棄は一般的でしたか?」

マイク「かつてはどこの国もやっていました。イギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本。ドラム缶ごと海に棄てていました。廃棄物を海に投棄していたんです。当時は何の関心もありませんでした。海は世界最大のゴミ箱と考えられていたんです。」



国際原子力機関IAEAの発表によると50年足らずの間にさまざまな国が10万トン以上の放射性廃棄物を海洋投棄しました。


イギリスだけで全体の80%を占めています。そして海を持たないスイスが2番目となっています。放射能汚染に直面して、多くの国が海洋投棄に反対し、民間の反核運動を支援しました。


(海洋投棄する船の横で抗議のグリーン・ピースのボートの上にドラム缶を棄てる様子、ボートはひっくり返り、乗員は海に投げ出された)


マイク
「こうした衝撃的な映像によってこの問題が世界中に伝わりました。しかし反対運動が勝利を収め海上での船からの放射性廃棄物の投棄に終止符が打たれるまでにはさらに10年かかりました。


1993年、国際条約によって放射性廃棄物の海洋投棄はついに全面禁止になりました。しかし廃棄物の管理についてはいまだにあいまいな部分が残っています。


核開発は軍の主導で行われました。しかし軍が抱える放射性廃棄物の多くは機密とされています。

―――――――――――

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(ハンフォード核施設)


次に私たちはアメリカ、ワシントン州にあるかつて世界で初めて本格的なプルトニウム生産に成功した施設に向かいます。


第2次世界大戦中の1942年、時のルーズベルト政権はハンフォードをマンハッタン計画の核兵器製造拠点のひとつに選びました。


砂漠の奥深くに建設された核施設は兵舎などが立ち並ぶ、人口51000人の町となりました。


プルトニウムを得るための原子炉と、再処理施設が大急ぎで建設されました。


しかし現在のハンフォードは見捨てられ、歴史上の遺物のようになっています。


見たところ軍事施設のほとんどは閉鎖されているようです。
ハンフォード核施設を管理するアメリカのエネルギー省は、私たちの立ち入りを拒否。そこで、ハンフォードの環境問題に取り組む地元の団体代表、トム・カーペンターに話を聞きました。


許可なく施設に近づくにはコロンビア川をボートで行くしかありません。


ハンフォード・チャレンジ代表トム・カーペンター
「政府がこのような辺鄙な場所を選んだのは、もし事故が起きても犠牲者が少なくてすむからです。汚染が進んでも文句を言う人がほとんどいません」


「これが世界で初めてプルトニウムを生産した原子炉です。1943年に核兵器用のプルトニウムを生産するために、建設されB炉といわれました。長崎に落とされた原爆のプルトニウムはここで作られました。」


(B炉と長崎への原爆投下の際の、巨大な黒いきのこ雲の様子・・・)


「ハンフォードは長年秘密の場所でした。過去にこの施設で何回放射能漏れや火災が起きたのか風下の町に住む住人はどれほど被爆したのか誰も知ることはできませんでした。」


「ここは兵器を作るための施設だったので、放射性廃棄物のことを深く考える人はいませんでした。近くに川があったことも郡にとっては都合の良いことでした。原子炉の冷却にはこの冷たい川の水が使われ、使用後の廃液はそのまま川に流されたのです、こうしてこの川はひどく汚染されてしまいました。」


ロール「住民は気づいていましたか?」


カーペンター「もちろん気づいていませんよ、すべては秘密でマンハッタン計画の下で行われました。アメリカ軍の作戦だったんです」


コロンビア川の川底は、放射性物質に覆われています。今も川の水は汚染され続けていますが、取り除く方法は誰にも分かりません。


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(最盛期の頃、コロンビア川にボートが疾走し、ロープで水上スキーを楽しむ・・・水遊びをする家族連れ)


衝撃的なのはこの映像です。ハンフォード核施設の責任者たちは職員の家族が川で遊ぶことを許可しその危険性を知らせませんでした。


施設から数キロのところにある町、リッチランド。
ここに住むアラン・ボルトは、かつてハンフォード核施設の原子力技師でした。


アラン「私は1963年にハンフォードに来ました。21歳で大学を卒業したばかり。まだ若かったので、上司の説明をすべて信じていました。


しかし20年間ここで聞かされてきたことは事実とはかけ離れていることが分かりました。ハンフォードは実はひどい施設で出した廃液で周囲を汚染していたのです。私はその濃度が高く、拡散していたことにショックを受けました。あたりはすっかり汚染されました。」


ロール・ヌアラ報告

1943年以降、最も危険性の高い廃液を貯蔵するため、170個の巨大なコンクリートのタンクが作られました。
(すごい大きさとぞっとする作業状態)


hanford-plutonium-tanks_8917_600x450.jpg



それぞれがビル一つすっぽり入るほどの大きさでした。その後リスクを減らすため一時的な措置としてタンクは地中に埋められました。


1980年代、60個のタンクから廃液が漏れ出して地下水を汚染していることが発見されます。そのまま放置すべきではない、放射能レベルが高い廃液は今も2億リットル残っています。


タンク内部のカメラで見ることができます。
(ドロドロとした廃液が映っている)


廃液を安全に処理するには、溶けたガラスに混ぜた後固めます。ここにはその工場が建設中ですが、完成までの間タンクのそこでは、放射性物質が漏れ続けます


アラン「ここは砂漠地帯で1年に175ミリしか雨が降りません。それでも廃液を土にしみ込ませ地下水を汚染するには十分な量です。この先数十万年施設の下にある地下水は有毒なままです。


また、原子炉付近からは別の化学物質も川に入り込んでいます。
クロムは鮭の産卵を脅かすでしょう。鮭は卵を川底の砂利に産み付けます。そこへクロムが川底からしみだしてきて卵に影響を与えるのです。稚魚にとってクロムは有毒です」


(鮭の産卵の様子)

アラン・ボルトの話は絵空事ではありません。2002年のアメリカエネルギー省の調査ではコロンビア川の魚に放射性物質のストロンチウム90が含まれていると報告されています。


ここの魚を食べ続けると、ガンを発症しやすくなる可能性があります。
私たちは川の汚染について、科学的な裏付けが欲しいと思いました。


(ハンフォード施設近くのコロンビア川でボートに乗っている取材の人々)

そこでフランスにある独立非営利の原子力調査期間、クリラッド(CRIRAD)に調査を依頼しました。


アメリカ人科学者ノーム・バスクも同行してくれました。ハンフォードの植物の汚染について調べている人物です。


バスク「ここは最悪ですよ。西半球で最も汚染された場所です。見たところ何の問題もないみたいでしょう。彼らはここの川岸に手を加えたようだ。ずいぶん盛り土がしてあるよ、前はもっと大きな岩がごろごろしていたよ」


(岸のそばには「危険は入るな」というたて看板がある、看板の後ろにひっそりと誰かふたりいる、監視している様子だ)


(左手の見張りの台からもこちらを伺っている様子が見られる)


ノーム・バスクは前回サンプルの採取のためにここに来たとき、アメリカエネルギー省は警備員に彼を捕まえさせ妨害しました。今回当局は別の手を使いました。


(クリラッドの調査員が岸に下りて水を採取する様子、ノームは素足で水の中へ)


クリラッド
「汚染された木々が伐採されました。この土手を石で覆ってしまいましたね。全部隠れてしまいました。放射線量を測っていますが、異常な数値は見られません。」


それでも土壌のサンプルを採取できる場所を見つけたようです。(少し歩いた土手の土壌を袋に入れる様子)


フランスの原子力調査機関クリラッドで、コロンビア川の土壌と水が分析されます。


ロール「サンプルから何がわかりましたか?」


クリラッド、ブルーノ・シャレイロン研究者
「第一にハンフォード核施設周辺の川がトリチウム汚染されていること。1リットル当たり13ベクレルです。一方施設より上流では、2,5ベクレル以下でした。第二に不自然なほど高い濃度のウランが検出されたこと。


ラジウムの4倍です。さらに自然では存在しないユーロピウム152がありました。ハンフォード各施設側は121平方キロに及ぶ地下水源で、トリチウムの汚染が飲料水の基準値を超えていると認めています。


この施設からは放射性物質が漏れ続け、汚染物質が地下水に入り込みゆっくりとコロンビア川に移動していると言えます。また、ヨウ素129のような放射性物質には有効な除去方法がありません。」

――――――――――――――

アメリカとの軍事拡張競争に勝つため、ソビエトは1945年から10あまりの各施設を建設しました。


30年以上の間、鉄のカーテンの向こうからは、何の情報も流れてきませんでした。


1976年、ソビエトの反対体制派の学者ジョレス・メドベージェフが1957年にウラル地方で重大な原子力事故があったことを暴きました。放射性廃液を貯蔵するタンクが爆発した事故です。この事故はおよそ20年間秘密にされていました。


メドベージェフの告発を、西側の科学者は相手にしませんでした。


ロール「なぜあなたの話を信じようとしなかったと思いますか?」


メドベージェフ
「1976年には西側のあらゆる国が原子力発電を推進する必要に迫られていました。そこへ突然爆発事故と放射性廃棄物による汚染の話を明らかにしたわけです。恐らくKGBの陰謀だと思ったのでしょう」


西側の人々を怖がらせ、原子力開発を中止させるための陰謀だと、イギリスの原子力委員会の議長は、メドベージェフの話はナンセンスだと述べました。実はアメリカのCIAは、この事故のことを知っていましたが、黙っていました。


ロール「なぜ?」


メドベージェフ
「恐らく原子力に対する恐怖心を煽りたくなかったんです。人々が恐れることを嫌った。だから黙っているようにといわれたのでしょう。しかし放射性廃棄物の問題は今でも存在しています。


日本にもアメリカにもイギリスにもフランスにもロシアにも。・・・廃棄物を確実に安全に処理する方法はまだ、見つかっていません」

―――――――――――



私たちはロシアへ向かいました。1957年の爆発事故はウラル地方のチェリャビンスク州に起きました。


この事故に関する詳細はCIAやソビエト政府、そして原子力協会によって隠蔽されました。放射性廃棄物が持つ熱で、水素爆発などが起こることをこの事故が示したからです。


(核施設らしき風景を通り抜け町に入る・・・軍用ジープ、一般車、舗装された道路のすぐ脇には中くらいの高さの木々、白い扉の家、電柱、あぜ道などが見える)


1946年からマヤークの核施設はソビエトの原子爆弾用のプルトニウムを製造、アメリカのハンフォードと瓜二つの施設です。


(許可なく外国人の立ち入りを禁ず、と立て看板が立っている)


外国人の立ち入りを禁じているこの町は長い間地図に載らず、暗号名で呼ばれてきました。


1957年に爆発したタンクは、この秘密の町のそばにありました。
現在も近づくことはできません。


(カラボルカ村へ入る)


この大惨事を調べるため、カラボルカ村に向かいました。(羊を連れた老人がゆったりと歩く)
降り注ぐ放射性物質で大きな被害を受けた村です。


グルシャラ・イスマギロヴァは事故当時12歳でした。その日集団農場の作業を手伝うために1500人の生徒が畑に出ていました。


ロール「当時はどうでしたか?」

グルシャラ「事故のあった9月29日は、学校の全生徒が畑にいました。午後4時頃に爆発音を聞いたんです。戦争を体験したお年よりはみんなまた戦争が始まったと思いました。地面が大きく揺れました。それからカラボルカ村近くの空が汚れたみたいに真っ黒になりました。そして、その黒さが空全体を覆ったのです」


放射能レベルが高い廃液が入ったタンクが冷却装置の故障で爆発したことを村人は知る由もありませんでした。その爆発の力は、TNT火薬75トンに相当しました。


放射性物質が上空1000メートル噴き上げられ、周囲ほぼ1万5000平方キロを汚染しました。


この爆発で200人が死亡し、27万人が被爆しました。この核事故は、チェルノブイリ以前としては最悪のものでしたが、公表されませんでした。二日後、子供たちはまた、畑で収穫の手伝いをさせられました。


グルシャラ「私たちは並ばされて、収穫のために君たちの協力が必要なのだと言われました。一年生まで、手伝いに駆り出されました。


畑に到着すると、トラクターの掘った溝が見えました。生徒を引率していた農民が言いました。


『ジャガイモの山が見えるだろう、溝に全部放り込め』それでおしまいでした。先生はどうして収穫物を埋めたのかと聞きました。


すると農民たちは『汚染されているから食べられないそうだ』と答えました。でも何に汚染されているかは、誰も知りませんでした。」


この惨事に関する詳しいことは分かっていません。
信頼の置ける調査記録もないのです。がん患者の数など健康被害を記す公のデータもありません。


(木々が立ち並ぶ広大な土地を走り抜ける)


この地域には事故の傷跡が残っています。汚染された800平方キロの土地が立ち入り禁止になっています。


マヤーク核施設とその活動は、今も秘密にされたままです。これは1990年代にペレストロイカの下で撮影された映像です。


(一面の雪の中、警備の兵士が立つ施設の門、土壌が掘られた後の整備されていない道路・・・)


取材した記者が目にしたのは、この世の終わりのような光景でした。


兵器用のプルトニウムを生産する施設だったマヤークは、原子炉の運転開始以来廃液をカラチャイ湖に投棄してきました。


湖の放射能が危険なレベルになったため、当局は埋め立てることにしました。

(埋め立てるためのショベルカーが活動している)


イギリス人記者の報告です。
大量の岩をカラチャイ湖へと運んでいます。このトラックは屋根や車体が全部で5トンもの鉛で覆われています。これほど防御しているにも係わらず現場に岩を下ろし戻ってくるまで、およそ12分間で行わなくてはならないと言われました。湖のそばの放射能レベルがあまりに高いからです


カラチャイ湖は地球上で放射能レベルが極めて高い場所のひとつです。湖に近づくと、放射能レベルが跳ね上がるので作業員は岩をおろすのに3分以上はかけられません


作業員「エンジンが止まりませんように」


現在カラチャイ湖は埋め立てられていますが、次々に生み出される廃液を貯蔵するためさらに深い人工の湖が作られました。この新しい貯水池はカラチャイ湖より放射能レベルが低いものの、この地域の大きな河川である、ヘチャ川を汚染しています。


ヘチャ川は、数多くの村を通ってオビ川に流れ込みます。オビ川はシベリアを横切って北極海へ注いでいます。


ローラ・ヌアラ報告

ムスリュモヴォ村はヘチャ川沿いにある村です。放射性廃棄物による汚染の調査をフランス原子力調査機関クリラッドの科学者、クリスチャン・クールボンに頼みました。20年間放射能汚染について、調べています。


(テチャ川の標識を確認、道路から階段を降りて川へ向かう)


テチャ川に到着し、クリスチャンはサンプルの採取を始めました。


クリスチャン「高いね、階段の下のこのあたりは毎秒1400カウントだ。とても高い数値だよ。」

放射線量の数値からこの場所が高度に汚染されていることが分かります。


「この端は2000カウントだ。土手のぎりぎりだと、2400、2600、3000・・・4000、5000・・・本当にひどいな。めまいがするほどだ。」


毎秒5000カウントは自然放射線量の50倍です。


(テチャ川の橋の下に入る)


クリスチャン「計測結果から見て高度に汚染されていることが分かります。水の中にどんな放射性物質があって、どんな毒性があるかはわからないですがね。とにかくとても危険です。ここに指を突っ込んでなめたり直接肌につけたりしてはいけないですよ。」


「ほら、1万6000もある。すごい数値だ」


ロール「ほかの場所にたとえるとどこに相当しますか?」


クリスチャン「自然の中でこのレベル名場所?チェルノブイリだね!でも普通の橋の下で、これほどの場所があるかって言われたら、ないね!」


取材「ここは誰でもこられる。」


クリスチャン「人の足跡がいっぱいあります。住民がきっとここで葦を刈ったり、川魚を取ったりしているんでしょう。」


(橋の下の水を採集するクリスチャン)


クリスチャン「この川は立ち入り禁止にすべきだ。本当はこんなところに立っているのも危ない。ここは核のごみ集積場ですね。放射能レベルが信じられないほど高い。この橋を建設した人たちは気の毒だ。


途方もない放射線を浴びて被爆し、相当汚染されてしまったでしょう。われわれも被爆を抑えるためそろそろ行きましょう。自然の中で放射能レベルが高すぎて、撤収が必要なところなんて滅多にないですよ」


(急ぎ足で立ち去る)


ムスリュモヴォ村・・・

(倒れ掛かったような納屋、手入れの行き届いてないトラック、棄ておかれたような風景・・・)


川は50年間汚染されてきました。政府は多くの村を立ち退かせました。ムスリュモヴォは最後に残った村です。わずかな家族が廃墟の中で、暮らしています。


(老人、杖を突いた初老の老人、赤いセーターを着た人・・・何かを燃やした後のようなゴミ・・・朽ちたイス、汚れて野ざらしのキッチンに敷かれていたような青いシート、レンガが崩れた壁、住む人を失った家の窓に揺れるカーテン…)


住人のゴスマン・カビロフ
「あそこが学校だったんです。1991年まで近隣の村の子供たちが学んでいました。


この地区で唯一の高校でした。ここは生徒たちに人気の場所でみんな魚を取ったり寝転んだりしていました。」


(小高い場所にある学校の下には、小さなくぼ地が広がり、池ができている。
牛が水を飲んで憩いの場になっているよう。水際には以前にはきっとなかった多くのゴミが散らばっている)


今はムスリュモヴォで一番汚染がひどい場所です。おばあさんたちがよく小動物を連れてきて腰を下ろしてたんですが、放射能ですかねぇ、みんな死んでしまいました」


どうして当局は村人に危険を知らせなかったのでしょうか。
1993年、やっとエリツィン大統領の下で真相が明らかになります。


(朽ち果てた学校・・・)

現在のロシアは再び秘密主義が蔓延っていますが、当時は情報公開が進みました。


アレクセイ・ヤブロコフはロシア科学アカデミーの会員でエイツィン大統領に環境保護について助言する顧問も勤めていました。


ヤブロコフ「ソビエト時代、原子力産業は機密とされていました。1986年のチェルノブイリ原発事故がゴルバチョフによるグラースノスチ情報公開のきっかけのひとつになりました。


共産党員たちは、もはや秘密主義を貫き通せないと悟ったんです。こうして原子力産業の真相が語られるようになりました。


マヤークについてもそうです。深刻な事態になっているという噂が広まっていましたが、実際に何が起きているのか誰も知りませんでした。事故は機密にされていたんです。


マヤークの惨事は何万人もの人々の生活に影響を与えていました。そこで私たちはそれについて議論を始めたんです。


エリツィンは民主化の波に乗って政権を握りました。そしてさまざまな問題を公開するよう迫られました。新しい政権になると、短い間だけ真実が語られるときがあります。


1991年から1995年前のロシアがそうでした。その後また、もみ消されるようになりました。」


ロール「1995年以降、ロシアでは情報を手に入れるのが、ふたたび難しくなりました。ケチャ川沿いにすむ人々は、こうした秘密主義の犠牲になっています」

(牛を追い、外へ出す村の人・・・)


政府は村から退去すれば100万ルーブル、およそ280万円を支払うと申し出ています。しかし多くの人々がこの保証金では、ほかの土地に移り住むのは難しいといいます。


牛の乳搾りをしながら話すおばさん
この村ではガンで死んだ人がたくさんいるわ。でもわずかなお金で何ができるっていうの。どこに行けばいいのよ。死ぬまでここで暮らすしかないわ。」


取材「ここにあるものを食べたり飲んだりしてもいいといわれましたか?」


おばさん
「全部外から買ってくるようにと言われたわ。でも家庭菜園なしには生きてはいけない。月に9000円じゃ、何も買えないでしょ。」


取材「牛乳を飲んでいますか?」


おばさん「もちろん、うちの牛乳だもの。役人が牛乳と水を調べたけど、結果を教えてくれなかった。」


(おばさんは乳を搾り続ける)

取材「どんな調査ですか?」

おばさん「保健期間が調べているの、ほぼ毎年やっているわ」

取材「結果を教えてもらえないんですか?」

おばさん「私たちには一度も教えてくれない。」


私たちはサンプルを採取し研究所に送りました。その結果この牛乳は、かなりの量のセシウム137、トリチウム、そして骨に蓄積するストロンチウム90を含んでいます。この牛乳を毎日飲み続けるガンになる可能性が増します。


チャリャビンスク郊外に放射線障害を専門に調べる研究機関があります。
ここでは、住民の定期検査を行っていますが、その結果が本人に知らされることはけっしてありません。


私たちは疫型部門の責任者で住民の健康状態を観察しているミラ・コセンコ(放射線障害研究機関)に会いました。


ロール「どんな調査をされているんですか?」

ミラ「悲しいことですが、ここの住民は非常に特殊な状況におかれています。周りの自然環境が放射性物質で汚染されたからです。調査は50年代から行われているのですが、当初の研究から導かれた結果が、現在の調査によって正しいと裏づけられました。


それは被爆した放射線量と、ガンの発生率には明確なつながりがあるということです。死亡率も同じように被爆した放射線量に関係があることがわかりました。私たちは健康状態の調査にあたって、テチャ川沿いの村に住む人々を対象にしました。


3万人の集団です。この集団を現在まで50年間、継続して追跡調査しています」

ミラはムスリュモヴォ村の人々が1950年代から調査対象となっていることを認めました。数世代にわたる人たちが、汚染された土地に置き去りにされているのです。

(15人くらいの人々が集う部屋)


住民(男性75歳くらい)
「去年私は息子を亡くしたよ。もうすぐ48歳になるはずだった。ガンで死んだんだ」


住民(男性70歳くらい)
「当局はとっくの昔に警告を出して、住民を避難させるべきだった。私たちはモルモットみたいな、わざとここで生活させられているんだろう。これがわれわれの運命だ。」


(車は町を横切って次の目的地へと街へ入る)

何回も取材申請をしてようやく州政府への取材が実現しました。
スヴェトラナ・コスティナはチャリャビンスク州原子力環境保全局の副局長です。


取材「川のそばで安全に暮らせますか?」


コスティナ「ええ、もちろん大丈夫です。テチャ川のそばで暮らすのはもう危険ではありません。しかし全流域で川の水は農業には使えません。


これについては川のそばで暮らす人たちには、きちんと伝えてきました。住民はこうした制限にしたがって生活しています。」


取材「あそこで暮らすのをやめさせるべきでは?」


コスティナ「現在の放射能レベルでは住民たちに立ち退きを義務付けるのは法的に難しいでしょう。すでにお話したように、放射能レベルは国際的な危険レベルを下回りました。ですから人々を退去させる法的根拠がないのです。」


公けには何も問題ないという見解でした。

ムスリュモヴォ村ではテチャ川の土手は立ち入り禁止になっています。しかし警備は緩く住民や家畜はいまだに出入りしています。


クリラッド調査員クリスチャン「自然の放射線の75倍の値だ。」


ロシアを離れる前に私たちは夜の闇にまぎれて、少しばかり冒険をしました。

(深夜、土手の下あたりの池をさらう。周辺の土を採取する、サンプルとして)

「大きい?ほんと?」(川魚を捕っている)


(こちらも参照⇒マヤーク核施設レベル6の恐怖

―――――――――――

フランスに戻ったクリスチャン・クールボンは持ち帰ったサンプルを並べます。


(土のはいった小さなビン、干物のようになった川魚などをほぐしてミキサーにかける。結果をひとつひとつ見ていく)


「これは橋の下の?」
「そうだ、幹線道路の橋の下にある土手のだ」
「今すぐ測定して数日後にも測ろう」

サンプルを検出器に入れます。これで放射線を測定し、放射性物質を特定します。


(測定されていく様子のグラフは一気に上昇する。)

セシウム137で設定、疑いの余地なし。かなりの汚染だ。」
「これはとんでもないね。すさまじいよ。」


数日後に最終結果が出ました。

クリラッド調査員グルーノ・シャレイロン
「まず第一にテチャ川はトリチウムによって高度に汚染されています。これは公式の報告書にはまったく言及されていません。


第二に水の汚染によって、土手の土壌に特にセシウム137が大量に蓄積しています。いわば土壌そのものが放射性廃棄物になってしまったのです。橋の下で採取した土に、1キロ当たり最高18万ベクレルを検出しました。


ここを歩く人たちにとって、この放射線量は非常に高い汚染です。水と土の汚染で、放射性物質が食物連鎖の中へも入り込んでいます。


セシウム137魚では1キロ当たり600ベクレル以上、牛乳は1キロ当たり24ベクレル検出されました。村の住民は地面から照射される放射線と、食事による体内からの汚染、その二つを通して大量に被曝しています」


ロール「村は汚染されているんですね?」


グルーノ「一番の疑問はなぜ村の住民を避難させないのか、ということです」

(調査されている物質、沈殿物だと思われる、黒くてねったりとしたもの)


数日後、テチャ川の沈殿物は最も猛毒な放射性物質、プルトニウム239と240によって、汚染されていることが分かりました。


本来値はゼロであるべきなのに、1キロ当たり2200ベクレルという数値です。


軍事用か民間用かを問わず、原子炉にはひとつの共通点があります。
放射性廃棄物を生み出し、その一部が環境の中に出て行くということです。


後編へ続く

フランスにも核施、コタンタン半島、ラ・アーグ(La Hague)にある核燃料の再処理工場ではフランス国内だけでなく、ヨーロッパのほかの国や日本からの使用済み核燃料を受け入れています…






posted by キキ at 23:50 | Comment(1) | BSドキュメンタリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
正確で貴重な書起こしありがとうございます。昨年も拝見していたのですがお礼も言わずに来て、今年になって、貴重な起こしの一部を勝手に拝借して、悲劇を「見て」「考えて」と、小さく論じました。事後で申し訳ありません。どうか御容赦くださいますようお願い致します。


http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/609.html

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石井様

こんにちは、初めまして。ご紹介いただき感謝しております。

悲劇が繰り返され、私たちは無力です。いつも搾取され犠牲にされるばかりの状態です。まずは知ることが大切ですよね。

稚拙なブログでございますが、お役にたてていただけますのは本当にうれしいです。今後ともよろしくお願いいたします。

Posted by 石井広国 at 2012年08月20日 19:02
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