★世見★
松原照子氏のスピリチュアル情報
<照の日記>
悠々と
「自分の思い通りに心静かな生活を送る」
このことを悠々自適というのですね。
私は多くの時間を思い通りに過ごしていて、特別な問題もないので心静かに暮らしています。
私って悠々自適なのだと思うと、とても嬉しくなっちゃいました。
悠々自適とはお金持ちの特権かと思っていたのですものね。
―――★―――★―――★―――
<世見>
世見2020年5月8日 弘法大師 空海
虚空尽き(こうくうつき)
衆生尽き(しゅじょうつき)
涅槃尽きなば(ねはんつきなば)
我が願いも尽きなん(わがねがいもつきなん)
現代語に訳しますと
宇宙がなくなり 人間は誰もいなくなり
悟りもなくなってしまうまで
私の願いは尽きません
空海58歳の時の言葉です。
とても重い言葉です。
真言宗の宗祖の空海は、醍醐天皇より弘法大師の諡号を賜りました。
後には「大師は弘法に奪われ、関白は秀吉に奪われる」とまで言われるようになって行きます。
諡号(しごう)、又の呼び名で大師号を朝廷から賜った高僧は25人いました。その中でも空海は、誰もが認めた大師だったのです。
私達も大師といえば弘法大師を指すほどの有名人です。
空海は多くの人々から信仰を集め、敬慕の念の中に親しみを込めて“お大師さん”とか“お大師様”と呼ばれてきました。
当時の国際都市、長安で学んだといわれる留学生・空海は、どのような思いで長安に出掛けたのでしょう。
長安は唐朝の文化や文芸の盛んな国際都市。空海は日本の文化史上にこのことを大きく開花させた偉人なのです。
「風信帖」(ふうしんじょう)というと、私などはまるで忍者の秘術帖に思うくらいのタイトルですが、正確には「弘法大師筆尺牘(せきとく)三通」という指定名称がある国宝のことです。
風信帖の歴史的意義はわかりませんが、東アジアの最高峰の文化の中心地都市である長安に出掛ける勇気には、お見事としか言えません。
今とは違い命懸けの旅であったのがわかりますし、言葉をどのように覚えたかにも興味が湧きます。今も尚人々を惹きつける魅力には感動を覚えます。
記事引用元⇒幸福への近道より
【松原照子氏書籍をAmazonで】→松原照子検索