★世見★
松原照子氏のスピリチュアル情報
<照の日記>
今を
子供がやっと小学生になったのに、もう中学校をどこにしようかと考える親御さんもいます。
病気が治ったばかりなのに、又病気になったらどうしようと悩む方もいます。
失恋をすると、もう恋なんかしたくないと思う人もいます。
そんなに未来のことばかり考えていたのでは目の前のことが見えなくなりますよ。
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<世見>
世見2020年3月12日 戦争大好き人間
日本が戦争をしていたことを信じられない人達が増えた気がいたします。
私だって戦後生まれなので、戦争のイメージはありません。
ただ、子供の頃の記憶の中には、兵隊帽を被り兵隊服を着た片足のない人が道行く人からお金をもらっていた光景が残り、忘れられません。
神戸は空襲が激しかったので、至る所が被害を受けたことを話では聞きましたが、空襲の恐ろしさは知らないのです。
母はB29爆撃機を竹槍で突き落とす訓練をさせられた、と言っては笑っていました。
日本人は、戦が好きなのかもしれません。
戦国時代からも戦好きを感じ取ってしまうのです。
日本人同士の戦いには、いったい何が残ったのでしょう。
現代人が、日本に於いての日本軍をどのように思っているのかと考えてみたのですが、日本軍事態の存在すら、若者達には心の隅にもないかもしれません。
日本軍のスタートがいつなのかわかりませんが、黒船の浦賀への来航によって、幕府が陸海軍を成立させたことから始まったのかもしれません。
ちょんまげを結い、西洋式の軍服に身を包んだ幕府兵がいた時代もあったようです。
「陸軍士官学校」「海軍兵学校」
こんな名の学校があったことをご存知の方も少なくなりました。
やがて日清戦争が起き、平壌の戦いを描いた浮世絵からは、日本軍の強さが炸裂しているのです。
戦争とは人と人との殺し合い。決して戦争に美学などありません。
「挙国一致」のスローガンのもと、ロシアとの決戦に向けて、陸海軍は綿密な計画を練ったことでしょう。日露戦争が勃発。そして次に待っていたのが第一次世界大戦です。
こうして戦争大好き人間が出来上がり、第二次世界大戦へと進みました。
命と引き換えに敵を討つ神風特攻隊、又の名を必死隊、彼らの命は白煙を上げて敵艦を狙い、今世から消えることでした。
記事引用元⇒幸福への近道より
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