★世見★松原照子氏のスピリチュアル情報
<照の日記>
せめて少しは流行に敏感になった方がいいのかなぁ〜。
わかっていても、スマホにパソコンは使えません。
だけどね。ファッションくらいは敏感にならないと‥‥こんなことは思うのですが、“もったいない”であり溢れた服。
でもね。凄いですよ。
流行って、回り回って来るのですね。
昔穿いていたスカート、先日、店先で似たのを見付けました。
「嬉しい」。でも結果は「悲しい」で終わりました。
だぁってね。ウエストが太くて、スカートからノーと言われてしまいました。
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<世見>
世見2019年8月25日 将門の首 「らしさ」という言葉があります。
男らしさ、女らしさ、この「らしさ」の意味は、「3年B組金八先生」の坂本先生にでも教えてもらわないとわからないかもしれません。
アレ、もしかしたら若者は金八先生のことをご存知ない‥‥(笑)。
この「らしさ」を私流に考えますと、生き方の中にある、誰が決めたかわからない基本なる考え方のことのようにも思えるのです。
世界史と日本史との比べ方は、登場する人物像でしか感じ取ることは出来ません。
「源氏物語」から読み解くというと何となく大袈裟になりますが、あの時代の人々、いえ、上流階級の方々は、私生活をあまり残したくなかったのでは‥‥と思ったりもします。
ただね。日本人は呪い好きかもしれません。
「平将門の呪い」なる伝説をご存知ですか?
平将門は藤原秀郷の手にかかって討たれ、その首は京都で晒し首にされてしまいました。
ところが、将門の首は生まれ故郷の茨城を目指して飛び立ちました。そして、何故か大手町で落下したと言います。
ここから、呪いの首塚物語が続きます。
地震で崩れた大蔵省の仮庁舎を壊して首塚の場所に建てようとすると、大蔵省の役人や工事関係者が怪我をしたり亡くなったりして、ついには当時の大蔵大臣まで死んでしまいました。
なんと、2年間で14名がこの首塚に関わって亡くなったのです。
戦後、アメリカ軍がブルドーザで整地しようとした時、将門塚の一部の石が原因となる事故が起き、重傷者や死者まで出てしまったのです。
この怨霊物語は、世界でも有名になったと言われます。
伊丹空港にもこの話に似た呪いの伝説があり、当時GHQの担当者は、日本人の呪いの強さに、さぞや驚いたことと思います。
追記※書かれてある内容は伊丹空港=GHQ となっていますが、羽田空港に穴守稲荷神社という神社があり、空港建設のため、移転することになった神社についての呪われた話があります。
昭和20年にGHQが羽田を国際空港にするため敷地が買い取られ、神社ごと移転されることになりましたが、この場所にあった大鳥居を倒す際にロープをかけて倒そうとすると、ロープが切れて作業員たちに死傷者が出たようです。さらにこの鳥居にを移動させるための作業をした日にかぎって、飛行機に機械トラブルが起こるというような事態が重なったのです。
結局、この鳥居を残したまま昭和29年に国際空港ターミナルビルが建設されました。同じ時期に滑走路も拡張されたましたが、この工事中にも死傷者が続出したといいます。また日本エアシステムでは昭和47年に函館山で墜落事故が起こってから、毎月3日に会社幹部が、穴守稲荷に参拝するようになり、本社内、整備場、旅客機、ヘリコプターなどに穴守稲荷のお札を貼るようになった経緯があるそうです。(リンクは
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