アナザーストーリーズ運命の分岐点「浅田真央 伝説のソチ五輪」 今年2017年4月、フィギィアスケート選手浅田真央が引退しました。長きにわたって日本中のファンをとりこにしてきた真央ちゃん。親しみを込めて「真央ちゃん」と呼ぶ人も多い愛されたスケーターです。
第1の視点「プルシェンコ、真央の代わりはいない」 第2の視点「ソニコワ、女王が敬服した」 第3の視点「タチアナこれは悲劇だ」 第1の視点「プルシェンコ、真央の代わりはいない」 伝説のソチのフリー。
番組はこのソチのフリー演技を中心に進行していきますが、浅田真央は、2005年シニアの大会、グランプリシリーズ・フランス大会で公式デビューをしています。この時すでにトリプルアクセル、3回転半の離れ業をやってのけているのですね。
そして5年後、初めて挑んだバンクーバーオリンピック(2010年)。惜しくも銀メダルでした。今度こそ「金を!」と挑んだ4年後のソチオリンピック・・・・。まさかのショートプログラム16位でした。彼女に何があったのか…。真央ちゃん自身は、「自分でもわからない。練習通りの演技ができませんでした」と語っていました。
運命の分岐点 2014年2月20日
ゆっくりと滑り始めた浅田真央、最初はトリプルアクセル。縦横無尽にリンクを滑り3回転半の連発。見事全て成功。スタンドの拍手はいつしか手拍子に変わっていきます。最後は華麗なるスピン。そして渾身のステップ。力の限りを出し尽くしてフィニッシュ。
得点142.71。 浅田真央の生涯最高得点。観たものの魂を震わせました。
4年前のバンクーバーでともに闘った元コーチ、タチアナ・タラソワさん
「本当に美しかった、泣いちゃったの、誇らしかった」
タラソワさんは、実況席で真央を全身全霊で途中から立ち上がって応援していました。
この大会の金メダリストアデリナ・ソトニコワ
「あんな演技自分にはできない。オリンピック史上最高のパフォーマンスよ」 4回転ジャンプでフィギィアスケート界の皇帝に君臨したエフゲニー・プルシェンコ。怪我をしてテレビでこの演技を見ていた彼は、
「Mao - you was great, special thanks for Axel 3,5! You're real fighter!!」 「トリプルアクセルをありがとう!君は真の戦士だ!」 とツイート。
このメッセージに込めた同じスケーターとしての深い共感をプルシェンコは、多く取材で語っています。あらためて浅田真央のレベルの高さを実感いたします。
『3度の世界チャンピオンおめでとう真央。2度の美しいトリプルアクセル 僕は誇りに思う。僕たちのスポーツを次のレベルへ押し上げてくれてありがとう』 Congratulation to 3 times world champion Mao Asada
2 beautiful 3A, I am so proud of you, thank you for pushing our sport to the next level
とツイート
一流スケーターだから知る浅田真央の凄さ。
フィギィアスケート界の皇帝、プルシェンコは、何をこの取材で語ってくれたのでしょう。
ロシア・モスクワ市内に「エンジェルズ・オブ・プルシェンコ」というフィギィアスケートの学校があります。小さな子どもがいっぱい通っています。運営しているのはもちろんプルシェンコ氏。
年端もいかない生徒に無茶な注文もあり、遅刻してきた生徒にはリンクの上で腕立て伏せもあり、厳しい指導を行っています。
「たかが遅刻と思うかもしれないけど、試合に遅刻するなんてできる?幼稚園児だろうが、中学生だろうが関係ないんだ。選手である以上、どうあるべきかはっきりしないといけない。フィギィアスケートは遊びじゃないんだから…」と。
浅田真央と同じく、今年2017年に引退したプルシェンコ。
彼がスケート学校を開校すると生徒が殺到しました。無理もありません、皇帝と呼ばれるプルシェンコの経歴は、
2002年 ソルトレーク五輪 銀メダル 2006年 トリノ五輪 金メダル 2000年 バンクーバー五輪 銀メダル 2014年 ソチ五輪 金メダル(団体) 4回転ジャンプを武器に4度のオリンピックで通算金メダル2回、銀メダル2回、まさにフィギィアスケート界の皇帝。そんな彼にとっても浅田真央は特別な存在でした。
―――もし浅田真央のような生徒が来たらどうしますか?―――
「そんなことがあればいいけど、まずあり得ない。真央は本当に唯一の存在だから代わりはいない」 …。
プルシェンコはこう答えました。
また、バンクーバーのときプルシェンコは、
「浅田真央のレベルは人類最高だよ。俺が女だったら勝てないだろうね」 とも。
プルシェンコが浅田真央の演技を初めて見たのは、2005年6月に横浜で開催されたアイスショー「ドリーム・オン・アイス」でのことでした。当時真央は14歳、まだジュニアの選手だったが、プルシェンコの目には特別な存在として写っていました。
―――プルシェンコ
「当時の日本は教科書的な型にはまった演技をする選手が多かったんだけど、彼女は全く違う。なんといっても凄かったのは、あのトリプルアクセルだ」。
「最初に伊藤みどりさんが飛んだのですが、何人か成功した選手はいるけど、真央のように10年以上にわたって、成功させ続けた選手はだれもいない。その成功率は、男子のトップ選手にも引けを取らない。〜〜『浅田真央という選手は、たった一人で女子のレベルを数十年先にまで押し上げた」。歴史上かつていないカリスマ的な選手なんだ』
プルシェンコの目を引いた浅田のトリプルアクセル、空中で3回転半、体をひねる離れ業。
実はフィギィアスケートの歴史上女子は8人しか成功していません。
伊藤みどり、トーニャ・ハーディング、中野友加里、リドミュラ・ネルディナ、エリザベータ・トゥクタミシェワ、紀平 梨花、長洲未来、そして浅田真央。飛べること自体がすごいジャンプですが、浅田のトリプルアクセルは別格だとプルシェンコは語っています。
浅田真央を高く評価していたプルシェンコは、そう、あの発言があります。
2010年バンクーバーオリンピックでのショートプログラムでのことです。
浅田真央は、ショートプログラムでトリプルアクセル1回、フリーで2回のトリプルアクセルを成功させました。女子選手がひとつの大会で3度ものトリプルアクセルを飛んだのは、史上初めてのことでした。(いかにすごいのかがこれでわかります)
浅田真央アナザーストーリーズその2 へ続く
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