2017年05月11日

中国・ウイグル自治区でM5.5地震発生2017年5月11日








米地質調査所(USGS)によると、地震は現地時間11日午前5時58分(日本時間同6時58分)に発生。震源地は同自治区カシュガル(Kashgar)市の南南西213キロの地点で、震源の深さは浅い。地震の規模を示すマグニチュードは国営メディアによると5.5。

中国北西部の新疆ウイグル自治区のカシ県のタクカーガン郡(M5.5)に発生した浅い地震の後、少なくとも8人が死亡した。 5月11日同局は深さ8km(5マイル)を報告している。USGSは深さ10km(6.2マイル)でM5.4を報告しています。

CENCはパミール高原の南東部に北緯37.58度、東経75.25度に震央を置いた。5 km(3.1マイル)以内に、平均標高は海抜4 347メートル(14 260フィート)です。約580人が震央付近に、6 200人が50 km(31マイル)以内に住んでいます。

新疆ウイグル自治区の予備報告によると、180棟の住宅が破壊され、8人が死亡し、20人以上が負傷し、789人が犠牲になった。

目撃者は、地震の後に頻繁な震えが感じられたと述べた。

人民日報(People's Daily)はインターネット上に、倒壊してがれきと化した建物の画像を投稿。地震監視センターが提供元のほかの写真には、天井が落下した屋内や商品が床に散乱した店内の様子なども写っている。

新華社はカシュガル地区タシュクルガン・タジク(Taxkorgan Tajik)自治県の共産党トップの話として、日干しれんがで造った家が崩壊して下敷きになった人もいると伝えた。

建物1500棟余りが倒壊するなど最も大きな被害が出ている村では、救助隊ががれきの中に閉じ込められた人の捜索を続けている。

現地では9000人を超える住民らが避難。救助活動には兵士1000人のほか、民間人1500人も参加している。


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ヒマラヤ地域における最大の地震活動率と最大の地震を有する。リバーススリップ運動によって引き起こされたこの人口の密集した地域の大地震、1934年のM8.1ビハール、1905年のM7.5のカングラおよび2005年のM7.6のカシミール地震が含まれます。

後者の2つは今日までに見られたヒマラヤ地震の死者数が最も多く、10万人を殺し、何百万人もの住居をなくしています。最大と記録されたヒマラヤ地震は、1950年8月15日、インド東部のアッサムで発生しました。

このM8.6の右横ずれの地震は、中央アジアの広い地域で広く感じられ、震央地域の村に大きな被害をもたらした。

チベット高原はヒマラヤの北に位置し、南北に約1000km、東西に2500km伸びており、地質学的にも地質学的にも複雑で数百キロメートルの長さを持ち、一般的に東西に向かっている。

チベット高原は、長い崑崙、海源、およびAltyn Taghを含む多数の大きな(> 1000km)東西方向の傾向、左横ずれ、打撃断層の断層によって削られている。この地域の右横ずれ断層すべり断層(左断層と同程度の大きさ)は、カラコルム、レッドリバー、サガイングを含む。二次的な南北トレンドの通常の断層も、チベット高原を削る。突き当たる断層は、チベット高原の北と南に向かって見つかる。集合的に、これらの断層は、インドとユーラシアプレートの進行中の衝突に伴う地殻短縮に対応し、

アフガニスタン南東部とパキスタン西部のチベット高原の西縁に沿って、インドプレートはユーラシアプレートと斜めに平行移動し、結果的にSulaiman Rangeとして知られている複雑な折りたたみとスラストベルトとなっています。

この地域では、ストライク・スリップ、リバース・スリップ、斜めスリップ・モーションが含まれ、浅い破壊的な地震が発生することがあります。活発な、左横の、打撃滑りシャーマン断層は、この地域で最も速く動く断層である。

1505年、アフガニスタンのカブール近郊にあるシャーマン断層の一部が破裂し、広範囲に破壊された。同じ地域では、1935年5月30日より最近、パキスタンのスライマン山脈で発生したM7.6クェッタ地震が3万〜6万人を殺しました。

記事引用は⇒www.csndmc.ac.cn








posted by キキ at 23:00 | 災害・海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「第2次安倍晋三内閣で改造人事が8〜9月に行われる見込み」今日の焦点 原田武夫氏








いよいよビットコインにメスか?そこで動くのは?

⇒“今日の焦点”はズバリ:

 「第2次安倍晋三内閣で改造人事が8〜9月に行われる見込み」です。


⇒その理由は……:

 ─表向きはいくらでも盤石なふりは出来るのです。
  しかしその実、屋台骨が歪んでいることはしばしばあります。

 ─政権とはそういうものです。
  なぜならば全ては「人心に依る」からです。

 ─したがって表向きの動きに惑わされてはなりません。
  その向こう側の「潜象」にこそ目を向けるべきです。

 ─特に「時間稼ぎ」の論調が出された時には要注意です。
  なぜならば「そうすること」には必ず理由があるからです。


安倍晋三内閣からその「改造飲み込み」が噂され始めています。
まずは自民党幹部からの発言という形をとっています。

「今すぐ」ではないのです。
今年(2017年)8月〜9月の間に挙行と言われています。

なぜ「そこまで待つ必要があるのか」がポイントなのです。
真に必要であればすぐにでも行えばよいのです。

しかしなぜあえてそうしないのか。
否、「そうできないのか」がカギです。

大事なことはただ一つ。
本当は安倍晋三政権こそ、脆弱さが露呈しているのです。

連立のパートナーから「三行半」を突きつけられています。
「まさか」という展開がこのままでは待っています。

だからこそ、まずは「時間稼ぎ」なのです。
弥縫策は結局、弥縫策であるにもかかわらず、です。

「その先」にあるのはエネルギーが溜まった結果の暴発です。
そこでどうなるのか。

分かり・・・ますか?

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「ビットコイン」の価格が高騰しています。5万円だった価格が現在20万越えしていますが、この先には中国の動きがあるとみていいでしょう。中国勢がいよいよ前面に取り上げ始めた感があり。「価格急落」への転換に要注意です。



中国で取引されたBITCOINは、昨日約9,900元(US $ 1,435)を記録した。デジタル資産が海外市場での価格上昇を牽引したことで、1日の最高記録は1万元を超えた。

昨日の午後7時に中国のプラットフォームで取引されたBitcoinの価格は約9,900元だったが、日本のBitFlyerや韓国のBithumbのような海外の取引プラットフォームでは1,700米ドルの20%以下だった。

価格の引き上げは主に日米の市場に支えられていたと中国最大のBitcoin取引プラットフォームのひとつであるHuobi氏は述べた。

新しいBitcoinポリシーが4月1日に施行されて以来、日本の26万店舗以上がBitcoinを新しい支払い方法として受け入れています。一方、米国の規制当局は、Bitcoin関連の投資ツールを評価する予定です。

Bitcoinは2016年に最も収益性の高い投資の1つで、その価格は200%以上上昇しました。1月には、2013年以来初めて1,000ドルを超え、約8,800元にまで上昇した。価格の引き上げは、2016年の世界のBitcoin貿易の約80%を占めた中国の好調な投資によって牽引された。

中国は現在、貿易量で世界第3位のBitcoin市場であり、世界全体の10.5%を占めるが、米国では日本の46.4%、26.4%を下回っているという。(www.shanghaidaily.com






posted by キキ at 12:00 | 原田武夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世見2017年05月11日石田三成の辞世の句







松原照子氏のスピリチュアル情報

<世見>
2017/05/11


辞世の句など、現代に生きる私達には馴染みもなく、思い付くこともありません。
戦国の世に生きた偉人達は、自分の死をどのように受け止めていたのでしょう。

石田三成。この人物をあなたはどのように思われますか?
先ずは、彼が詠んだ辞世の句をお読みください。

 筑摩江や芦間に灯す かがる火と ともに消え行く 我が身なりけり
朝鮮出兵では秀吉と共に現地入り。

どうやらこの辺りから歴史が動いたようにも思われるのです。

現地の諸将が秀吉に対して訴えを起こします。
この訴えを秀吉に報告したのが三成の妹婿。このことから加藤清正、黒田長政との不和が起きました。

その後の流れは皆様もご存知の通り、関ヶ原で敗れ京都の六条河原で処刑されました。

筑摩江とは地名。
石田三成の領地であり、又、故郷でもあります。

石田三成の目指す先にあったものとは、時代が今なら、大阪城にいた輝元にメールで出馬を要請出来て、歴史も変わっていたかもしれません。しかし、密書を人が運ぶ時代、輝元の手には届かず、家康の手中に入ってしまいました。

輝元の軍勢4万4千が松尾山に突進していたら、徳川の時代は訪れなかったかもしれません。

あの真田家も、父昌幸は東軍徳川に、弟の幸村は西軍へと、敵となりしこの関ヶ原の戦い。慶長5年(1600年)9月15日。

まさに天下分け目の関ヶ原の合戦が起きたのです。
秀吉が後5年生きていたら、今の日本はどのようになっていたのでしょうか。

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<照の日記>
気付きは


「兄弟 姉妹」いてくれるから元気が出ます。
又、いるから悩みも生まれます。

どんな問題も、心の中に嫌だ嫌だがあり過ぎると解決できることもできません。
冷静にとは申しませんが、誰かから今の問題と同様なことを相談されたら、自分ならどのように解答するかを考えて見ると、意外と気付けることがあるものなのですよ。







記事引用元はこちら⇒幸福への近道より
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posted by キキ at 00:00 | 世見2017年5月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする