★世見★
松原照子氏のスピリチュアル情報
―――★―――★―――★―――
世見2023年1月23日新門辰五郎
18世紀、世界有数の大都市になった江戸。
人口は100万人を超えていました。
江戸城は太田道灌が完成させ、領した場所でした。
その後、豊臣秀吉が関東を平定、秀吉が徳川家康に国替えを命じ、家康は本拠地を江戸城に移し、この地に幕府をおいたことで城下町として発展したのです。
あなたは新門辰五郎という人を知っていますか?
「江戸時代に会ってみたい人は?」と聞かれたら、私は真っ先に新門辰五郎と答えます。
町火消し「を組」の頭領にして、職業は「俠客」。
それだけでなく、浅草の香具師達を傘下に納めてもいました。
新門という名は、浅草寺の新しい門の防火責任者の任を承ったことからこのように呼ばれるようになりました。
娘は徳川慶喜の妾になりました。清水次郎長とも交流があるかと思えば、勝海舟とも親交があり、幕末の動乱には幕府方に加担しています。
彼の生き様は、男として一本筋が通っているところにあります。
妾とは言え、娘の夫の慶喜に対しては、義理の父親としての役目を見事に果たしてもいます。
幕末の歴史を動かした人物、と言っても過言ではない人だと思っています。
鳥羽伏見の戦いの時には、早々に船に乗り江戸に逃げ帰った慶喜の代わりに、大阪城に残されていた家康の大馬印を取り戻したのも辰五郎でした。
慶喜が将軍の座から降り、新政府を恐れて謹慎していた時は、慶喜の警護をしていました。
最後の最後まで慶喜を見捨てなかったのは、仁義に厚い男の辰五郎ならではでした。
江戸最後の俠客とも呼ばれた新門辰五郎。
町火消しに関わる人足も俠客。
「火事とけんかは江戸の華」と言われるように、火消し人足は、男を売る人達の集まりだったようです。
記事引用元⇒幸福への近道より
【松原照子氏書籍をAmazonで】→松原照子真世見
タグ:世見2023年1月